十六夜日記(阿仏尼)




逢坂の関(旅行記)

 粟田口といふところよりぞ車はかへしつる。ほどなく逢坂の関越ゆるほども、
  定めなき命は知らぬ旅なれどまたあふさかとたのめてぞ行く
野路といふところ、来し方行く先、人も見えず、日は暮れかかりて、いともの悲しと思ふに、時雨さへうちそそぐ。
  うちしぐれふるさと思ふ袖ぬれて行く先遠き野路の篠原
 今宵は鏡といふところに着くべしと定めつれど、暮れはてて、え行き着かず。守山といふところにとどまりぬ。ここにも時雨なほ慕ひ来にけり。
  いとどわれ袖ぬらせとややどりけむ間もなく時雨のもる山にしも
 今日は十六日の夜なりけり。いと苦しくてうち臥しぬ。
 いまだ月の光かすかに残りたるあけぼのに、守山を出でてゆく。野洲川渡るほど、先立ちて行く人の駒の足音ばかりさやかにて、霧いと深し。
  旅人はみなもろともに朝立ちて駒うち渡す野洲の川霧
 十七日の夜は、小野の宿といふところにとどまる。月出でて、山の峰に立ちつづけたる松の木の間、けぢめ見えて、いとおもしろし。
 ここも夜深き霧のまよひにたどり出でつ。醒が井といふ水、夏ならばうち過ぎましやと見るに、かち人は、なほたちよりてくむめり。
  結ぶ手ににごる心をすすぎなば浮世の夢やさめが井の水
とぞおぼゆる。
 十八日。美濃の国、関の藤川渡るほどに、まづ思ひつづけらる。
  わが子ども君につかへむためならで渡らましやは関の藤川
 不破の関屋の板びさしは、今も変はらざりけり。
  ひま多き不破の関屋はこのほどの時雨も月もいかにもるらむ
 関よりかきくらしつる雨、時雨に過ぎて降りくらせば、道もいとあやしくて、心よりほかに、笠縫のむまやといふところにとどまる。
  旅人はみのうちはらひ夕暮れの雨に宿かる笠縫の里
 十九日。またここを出でて行く。夜もすがら降りつる雨に、平野とかやいふほど、道いとわろくて、人通ふべくもあらねば、水田の面をぞさながら渡り行く。明くるままに雨は降らずなりぬ。昼つかた、過ぎゆく道に目にたつ社あり。人に問へば、「むすぶの神とぞきこゆる」といへば、
  守れただちぎりむすぶの神ならばとけぬうらみにわれ迷はさで
 洲俣とかやいふ川には、舟をならべて、まさきの綱にやあらむ、かけとどめたる浮橋あり。いとあやふけれど渡る。この川、堤のかたはいと深くて、かたかたは浅ければ、
  かた淵の深き心はありながら人目づつみのさぞせかるらむ
  かりの世の行き来と見るもはかなしや身のうき舟を浮橋にして
とも思ひつづける。また一の宮といふ社を過ぐとて、
  一の宮名さへなつかし二つなく三つなきのりを守るなるべし
 二十日。尾張の国、下戸のむまやを出でて行く。よきぬ道なれば、熱田の宮へ参りて、硯とりいでて、書きつけ奉る歌五つ、
  祈るぞよわが思ふことなるみ潟かたひく汐も神のまにまに
  鳴海潟和歌の浦風へだてずは同じ心に神も受くらむ
  満つ汐のさしてぞ来つる鳴海潟神やあはれとみるめたづねて
  雨風も神の心にまかすらむわが行く先のさはりあらすな
  ちぎりあれや昔も夢にみしめなは心にかけてめぐりあひぬる
 汐干のほどなれば、さはりなく干潟を行く。をりしも、浜千鳥多く先立ちて行くも、しるべ顔なるここちして、
  浜千鳥鳴きてぞさそふ世の中に跡とめむとは思はざりしを
 隅田川のわたりにこそありと聞きしかど、都鳥といふ鳥の、はしと足と赤きは、この浦にもありけり。
  こと問はむはしと足とはあかざりしわが来しかたの都鳥かと
 二村山を越えて行く。山も野もいと遠くて、日も暮れはてぬ。
  はるばると二村山を行き過ぎてなほ末たどる野辺の夕やみ
 八橋にとどまらむと人々言ふ。暗さに橋も見えずなりぬ。
  ささがにのくもであやふき八橋を夕暮かけて渡りかねつる
 二十一日。八橋を出でて行く。日いとよく晴れたり。山もと遠き原野を分け行く。昼つかたになりて、紅葉いと多き山に向かひて行く。風につれなきくれなゐ、ところどころ朽葉に染めかへてける、常磐木どももたちまじりて、青地の錦を見るここちして、人に問へば、宮地の山とぞいふ。
  しぐれけり染むるちしほのはてはまた紅葉の錦色かへるまで
 この山までは昔見しここちする。ころさへ変らねば、
  待ちけりな昔も越えし宮地山同じ時雨のめぐりあふ世を
 山のすそ野に竹ある所に、萱屋ただ一つ見ゆる、いかにして、何のたよりに、かくて住むらむと見ゆ。
  主やたれ山のすそ野に宿しめてあたりさびしき竹のひとむら
 日は入りはてて、なほもののあやめ分かるほど、渡津とかやいふ所にとどまりぬ。
 二十二日の暁、夜深き有明の影に出でて行く。いつよりも、ものいと悲し。
  住みわびて月の都は出でしかどうき身はなれぬ有明の月
とぞ思ひつづくる。供なる人、「有明の月さへ笠着たり」と言ふを聞きて、
  旅人の同じ道にや出でつらむ笠うち着たる有明の月
 高師の山も越えつ。海見ゆるほど、いとおもしろし。浦風荒れて、松のひびきすごく、波いと高し。
  わがためや風もたかしの浜ならむ袖のみなとの波はやすまで
 いと白き洲崎に、黒き鳥のむれゐたるは、鵜といふ鳥なりけり。
  白浜に墨の色なる島つ鳥筆も及ばば絵にかきてまし
 浜名の橋より見わたせば、かもめといふ鳥、いと多く飛びちがひて、水の底へも入る、岩の上にもゐたり。
  かもめゐる洲崎の岩もよそならず波のかずこそ袖に見なれて
 今宵は引馬の宿といふ所にとどまる。この所の大方の名は浜松とぞいひし。親しといひしばかりの人々なども住む所なり。住み来し人の面影も、さまざま思ひ出でられて、まためぐりあひて見つる命のほども、かへすがへすあはれなり。
  浜松の変はらぬ影をたづね来て見し人なみに昔をぞ問ふ
 その世に見し人の子、孫など、呼び出でてあしらふ。
 二十三日。天中の渡りといふ、舟に乗るに、西行が昔も思ひ出でられて心細し。組み合せたる舟ただ一つにて、多くの人の往き来に、さしかへるひまもなし。
  水のあわの浮き世を渡るほどを見よ早瀬の瀬々にさをもやすめず
 今宵は、遠江見付の国府といふ所にとどまる。里荒れて、ものおそろし。かたはらに水の江あり。
  誰か来てみつけの里と聞くからにいとど旅寝ぞそらおそろしき
 二十四日。昼になりて、小夜の中山越ゆ。ことのままといふ社のほど、紅葉いとおもしろし。山かげにて、嵐もおよばぬなめり。深く入るままに、をちこちの峰つづき、こと山に似ず、心細くあはれなり。ふもとの里、菊川といふ所にとどまる。
  越えくらすふもとの里の夕やみに松風おくる小夜の中山
 あかつき、起きて見れば、月も出でにけり。
  雲かかる小夜の中山越えぬとは都につげよ有明の月
 川音いとすごし。
  渡らむと思ひやかけしあづまぢにありとばかりはきく川の水
 二十五日。菊川を出でて、今日は大井川といふを渡る。水いとあはせて、聞きしにはたがひて、わづらひなし。河原幾里とかや、いとはるかなり。水の出でたらむ面影、おしはからる。
  思ひ出づる都のことはおほゐ川いく瀬の石の数も及ばじ
 宇津の山越ゆるほどにしも、阿闍梨の見知りたる山伏行きあひたり。夢にも人をなど、昔をわざとまねびたらむここちして、いとめづらかに、をかしくも、あはれにも、やさしくもおぼゆ。「急ぐ道なり」といへば、文もあまたはえ書かず、ただやむごとなきところ一つにぞ、おとづれ聞ゆる。
  わが心うつつともなし宇津の山夢路も遠き都恋ふとて
  つたかへでしぐれぬひまも宇津の山涙に袖の色ぞこがるる
 今宵は、手越といふ所にとどまる。なにがしの僧正とかやの上りとて、いと人しげし。宿りかねたりつれど、さすがに人のなき宿もありけり。
 二十六日。藁科川とかや渡りて、興津の浜にうち出づ。「泣く泣く出でしあとの月影」など、まづ思ひ出でらる。昼、立ち入りたる所に、あやしきつげの小枕あり。いと苦しければうち臥したるに、硯も見ゆれば、枕の障子に、臥しながら書きつけつ。
  なほざりにみるめばかりをかり枕結びおきつと人に語るな
 暮れかかるほど、清見が関を過ぐ。岩こす波の、白き衣をうち着するやうに見ゆるもをかし。
  清見潟年ふる岩にこと問はむ波のぬれ衣いくかさね着つ
 ほどなくくれて、そのわたりの海近き里にとどまりぬ。浦人のしわざにや、隣よりくゆりかかる煙の、いとむつかしきにほひなれば、「夜の宿なまぐさし。」と言ひける人の言葉も思ひ出でらる夜もすがら風いと荒れて、波ただ枕に立ちさわぐ。
  ならはずよよそに聞きこし清見潟荒磯波のかかる寝ざめは
 富士の山を見れば煙立たず。昔、父の朝臣にさそはれて、いかになるみの浦なればなどよみしころ、とほつあふみの国までは見ましかば、「富士の煙の末も、朝夕たしかに見えしものを、いつの年よりか絶えし。」と問へば、さだかに答ふる人だになし。
  誰がためになびきはててか富士の嶺の煙の末の見えずなるらむ
古今の序の言葉とて思ひ出でられて、
  いつの世のふもとのちりか富士の嶺の雪さへ高き山となしけむ
  朽ちはてし長柄の橋をつくらばや富士の煙も立たずなりなば
 今宵は波の上といふ所に宿りて、荒れたる音、さらに目も合はず。
 二十七日。明けはなれてのち富士川渡る。朝川いと寒し。数ふれば十五瀬をぞ渡りぬる。
  さえわびぬ雪よりおろす富士川の川風氷る冬の衣手
 今日は日いとうららかにて、田子の浦にうち出づ。あまどものいさりするを見ても、
  心からおりたつ田子のあまごろもほさぬうらみも人にかこつな
とぞ言はまほしき。
 伊豆の国府といふ所にとどまる。いまだ夕日残るほど、三島の明神へ参るとて、詠みて奉る。
  あはれとやみしまの神の宮柱ただここにしもめぐり来にけり
  おのづから伝へし跡もあるものを神はしるらむ敷島の道
  たづね来てわが越えかかる箱根路に山のかひあるしるべをぞとふ
 二十八日。伊豆の国府を出でて箱根路にかかる。いまだ夜深かりければ、
  玉くしげ箱根の山を急げどもなほ明けがたき横雲の空
 足柄の山は道遠しとて、箱根路にかかるなりけり。
  ゆかしさよそなたの雲をそばだててよそになしつる足柄の山
 いとさかしき山を下る。人の足もとどまりがたし。湯坂とぞいふなる。からうじて越えはてたれば、ふもとに早川といふ川あり。まことにいと早し。木の多く流つつを、いかにと問へば、「あまのもしほ木を浦へ出ださむとて流すなり。」と言ふ。
  あづま路の湯川を越えて見渡せば塩木流るる早川の水
 湯坂より浦を出でて、日暮れかかるに、なほとまるべき所遠し。伊豆の大島まで見渡さるる海づらを、「いづことかいふ。」と問へば、知りたる人もなし。あまの家のみぞある。
  あまの住むその里の名もしら波の寄するなぎさに宿や借らまし
 鞠子川という川を、いと暗くてたどり渡る。今宵は酒匂といふ所にとどまる。あすは鎌倉へ入るべしといふなり。
 二十九日。酒匂川を出でて浜路をはるばると行く。明けはなるる海の上を、いと細き月出でたり。
  浦路行く心細さを波間より出でて知らする有明の月
 なぎさに寄せかへる波の上に立ちて、あまた見えつる釣舟も見えずなりぬ。
  あま小舟こぎ行くかたを見せじとや波に立ちそふ浦の朝霧
 都の遠くへだたりはてぬるも、なほ夢のここちして、
  立ち別れよもうき波はかけもせじ昔の人の同じ世ならば