海道記




海道記

一 序

 白川のわたり、中山の麓に、閑素幽栖のわびびとあり。性器に底なければ、能を拾ひ藝を容るるにたるべからず。身運はもとより薄ければ、報を恥ぢ命をかへりみて恨を重ぬるに處なく、徒に貪泉の蝦蟇となりて、身を浮き草によせて力なきねをのみ泣き、空しく窮谷の埋れ木として、意の樹、花たえたり。惜しからぬ命のさすがに惜しければ、投身の淵は胸の底に淺し。存しがひなき心は、なまじひに存したれば、斷腸の棘は愁ひの中にしげる。春はわらびを折りて、臨める飢を支ふ、伯夷が賢にあらざれば人もとがめず。秋は木の實を拾ひて貧しき病をいやす、華氏が藥もいまだ飢ゑたるをば治せず。九夏三伏の汗はのごひて苦しからず、手の中に扇あれば涼を招くにいと安し。玄冬素雪の嵐は凌ぐにあたはず、身の上に衣無ければ寒を防ぐにすべなし。窓の螢も集めざれば目は暗きが如し、何を見てか志を養はん。樽の酒も酌むことを得ざれば心は常にさめたり、如何か憂ひを忘れんや。

 しかるあひだ、逝く水はやく流れて生涯は崩れなんとす、とどめんとすれどもとどまらず、五旬の齡の流車、坂にくだる。朝に馳せ暮に馳す、月日の廻りの駿駒、隙を過ぐ。鏡の影に向ひゐて知らぬ翁に耻ぢ、けぬきを取りて白絲にあはれむ。これによりて頭上には、頻りにおどろかす老を告ぐる鶴、鬢のほとりには、早く落ちぬ霜を厭ふ華。鶴に驚き霜を厭ふ志たちまちにもよほして、僧を學び佛に歸する念やうやくに起る。名利は身に棄てつ、稠林に花ちりなば覺樹の木の實は熟するを期すべし。薜羅は肩に結べり、法衣、色染みなば衣裏の珠は悟ることを得つべし。旦暮の露の身は、山の蔭、草おくところあれども、朝の霞は、望たえて天を仰ぐに空し。世を厭ふ道は貧しき道より出でたれども、佛を念ずる思ひは遺怠とおこたる。四聖の無爲を契りしも一聖なほ頭陀の路にとどまりき。ひとへに己が有爲を厭ふ、貧しき己、いよいよ坐禪の窓にいそがはし。然して曾 せきが酒も人を醉せて由なし、子牢が顆は心に貯ひて身を樂とせり。鵞眼なけれども天命の道に杖つきて歩をたすく、 しやう牙かけたれども地恩の水に口すすぎて渇をうるほす。空腹一杯の粥、飢ゑてすすれば餘りの味あり。薄紙百綴の衿、寒に着たれば肌を温むるに足れり。檜の木笠をかぶりて裝ひとす、出家の身。藁履を踏んで駕とす、遁世の道。

 そもそも相模の國鎌倉郡は下界の麁澁苑、天朝の築鹽州なり。武將の林をなす、萬榮の花よろづにひらけ、勇士の道に榮ゆ、百歩の柳ももたびあたる。弓は曉の月に似たり、一張そばだちて胸を照し、劔は秋の霜の如し、三尺たれて腰すずし。勝鬪の一陣には爪を楯にして寇をここに伏す。猛豪の三兵は手にしたがへて互に雄稱す。干戈、威、いつくしくして梟鳥敢へてかけらず、誅戮、罪、きびしくして虎狼ながく絶えたり。この故に、一朝の春の梢は東風にあふがれて惠をまし、四海の潮の音は東日に照されて波をすませり。貴賤臣妾の往還する多くの驛の道、隣をしめ、朝儀國務の理亂は、萬緒の機、かたかたに織りなす。羊質、耳のほかに聞きをなして多歳をわたれり、舌の端に唇をして幾日をか送るや。心船いつはりの爲に漕ぐ、いまだ海道萬里の波に棹ささず。意馬あらましに馳す、關山千程の雲に鞭うたず。今すなはち芳縁に乘りて俄かに獨身の遠行を企つ。

 貞應二年卯月の上旬、五更に都を出でて一朝に旅に立つ。昨日は住みわびて厭ひし宿なれど、今日はたちわかるれば、なごりをしくおぼえて暫くやすらへども、鐘の聲、明けゆけば、あへずして出でぬ。

 粟田口の堀道を南にかいたをりて、逢坂山にかかれば九重の寶塔は北の方に隱れぬ。松坂を下りに松をともして過ぎゆけば、四宮河原のわたりは、しののめに通りぬ。小關を打越えて大津の浦をさして行く。關寺の門を左に顧みれば、金剛力士忿怒のいかり眼を驚かし、勢多の橋を東に渡れば、白浪みなぎり落ちて、 [1]流 べんの流れ、身をひやす。湖上に船を望めば、心、興に乘り、野庭に馬をいさめて、手、鞭をかなず。

 やうやくに行くほどに都も遙かに隔りぬ。前途、林幽かなり、わづかに薺梢に見る。後路、山さかりて、ただ白雲跡をうづむ。既にして斜陽影くれて暗雨しきりに笠にかかる。袖をしぼりて初めて旅のあはれを知りぬ。その間、山館に臥して露より出で、曉の望、蕭蕭たり。水澤に宿して風より立つ、夕の懷、悠々たり。松あり又松あり、煙は高卑千巖の道を埋み、水に臨みて又水に臨む、波は淺深長堤の汀に疊む。濱名の橋の橋のもとには、思ふ事を誓ひて志をのべ、清見が關の關屋には、飽かぬなごりをとどめて歩みを運ぶ。富士の高峯に煙を望めば、臘雪宿して雲ひとり咽び、宇都の山路に蔦をたづぬれば、昔のあと夢にして、風の音おどろかす。木々の下には、下ごとに翠帳をたれて行客の苦みをいこへ、夜々の泊には泊ごとに菰枕を結びて旅人の眠りをたすく。行々として重ねて行々たり、山水野塘の興、壯觀をまし、暦々として更に暦々たり、海村林邑の感、いやめづらかなり。

 この道は、もし四道の間に逸興のすぐれたるか、はた又、孤身が斗藪の今の旅始なればか。過ぎ馴れたる舊客なほ眺めをなほざりにせず、况んや一往の新賓なれば感思おさへがたし。感思の中に愁傷の交はることあり、母儀の老いて又幼き、都にとどめて不定の再覲を契りおく。無状かな、愚子が體たらく、浮雲に身を乘せて旅の天に迷ひ、朝露を命にて風のたよりにただよふ。道を同じうする者は、みな我を知らざる客なり、語を親眤に契りて、いづちか別れなんとする。長途につかれて十日餘り、窮屈しきりに身を責む。湯井の濱に至りて一時半偃息、しばらく心をゆるぶ。時に萍實西に沈む、舊里を忍びて後會を期し、桂華東に開く、外郷に向つて中懷をなやます。よつて三十一字をつづりて千思萬憶、旅の志をのべつ。これはこれ、文をもつてさきとせず、歌をもつてもととせず、ただ境にひかれて物のあはれを記するのみなり。外見の處にそのあざけりをゆるせ。



二 京より大岳

 四月四日、曉、都を出づ。朝より雨にあひて勢田の橋のこなたに暫くとどまりて、あさましくて行く。今日明日とも知らぬ老人を獨り思ひおきてゆけば、

思ひおく人にあふみの契あらば
今かへりこん勢田の長はし

 橋のわたりより雨まさりて、野徑の道芝、露ことに深し。八町畷をすぐれば行人互に身をそばめ、一邑の里を通れば亭犬しきりに形を吠ゆ。今日しも習はぬ旅の空に雨さへいたく降りて、いつしか心のうちもかきくもるやうにおぼえて、

旅ごろもまだ着もなれぬ袖の上に
ぬるべきものと雨はふりきぬ
 田中うちすぎ民宅うちすぎて遙々とゆけば、農夫ならび立ちて荒田を打つ聲、行雁の鳴きわたるが如し。(田を打つ時はならび立ちて同じく鋤をあげて歌をうたひてうつなり)卑女うちむれて前田にゑぐ摘む、思はぬしづくに袖をぬらす。そともの小川には河添柳に風たちて鷺の蓑毛うちなびき、竹の編戸の垣根には卯の花さきすさみて山ほととぎす忍びなく。かくて三上の嶽を眺めて八洲川を渡る。

いかにしてすむ八洲川の水ならむ
世わたるばかり苦しきやある
若椙といふ處をすぎて横田山を通る。この山は白楡の影にあらはれて緑林の人をしきる處ときこゆれば、益なくおぼえていそぎ過ぐ。

はやすぎよ人の心も横田山
みどりの林かげにかくれて
 夜景に大岳といふ處に泊る。年ごろうちかなはぬ有樣に思ひとりて髮をおろしたれば、いつしかかかる旅寢するもあはれにて、かの廬山草庵の夜雨は、情ある事を樂天の詩に感じ、この大岳の柴の夜雨には、心なき事を貧道が歌に耻づ。

墨染のころもかたしき旅寢しつ

いつしか家を出づるしるしに



三 大岳より鈴鹿

 五日、大岳を立ちて遙かに行けば、内の白川、外の白川といふ處をすぎて鈴鹿山にかかる。山中よりは伊勢の國に移りぬ。重山、雲さかしく、越ゆれば即ち千丈の屏風いよいよしげく、峯には松風かたかたに調べて康が姿しきりに舞ひ、林には葉花まれに殘りて蜀人の錦わづかに散りぼふ。これのみに非ず、山姫の夏の衣は梢の翠に染めかけ、樹神のこだまは谷の鳥に答ふ。羊膓、坂きびしくして、駑馬、石に足なへぐ。すべてこの山は、一山中に數山をへだてて、千巖の嶺、眼にさはり、一河の流れ、百瀬に流れて、衆客の歩み、足をひたせり。山かさなり、江かさなれば、當路にありといへども、萬里の行程は半ばにも至らず。

鈴鹿川ふるさと遠く行く水に
ぬれていくせの浪をわたらん

 薄暮に鈴鹿の關屋にとまる。上弦の月、峯にかかり、虚弓いたづらに歸雁の路に殘る。下流の水、谷に落つ、奔箭すみやかにして虎に似たる石にあたる。ここに旅驛やうやくに夜をかさねて、枕を宿縁の草に結び、雲衣、曉さむし、蓆を岩根の苔にしく。松は君子の徳を垂れて天の如く覆へども、竹は吾友の號あれば陰に臥して夜を明かす。

鈴鹿山さしてふるさと思ひ寢の
夢路のすゑに都をぞとふ


四 鈴鹿より市腋

 六日、孟嘗君が五馬の客にあらざれば、函谷の [2] 鷄の後、夜を明かして立つ。山中なかば過ぎてやうやう下れば、巖扉削りなせり、仁者のすみか靜かにして樂しみ、澗水掘り流す、知者のみぎり動けども豐かなり。かくて邑里に出でて田中の畔ほ通れば、左に見、右に見る、立田眇々たり。或は耕し、或は耕さず、水苗處々。しかのみならず、池溝かたかたに掘りて、水をおのがひきひきに論じ、畦畝あぜを並べて苗を我がとりどりに植ゑたり。民烟の煙は父君心體の恩火よりにぎはひ、王道の徳は子民稼稷の土器より開けたり。水龍はもとより稻穀を護りて夏の雨を降し、電光はかねてより九穗を孕みて三秋を待つ。東作の業、力を勵ます、西收の税、たのもしく見ゆ。劉寛が刑を忘れたり、蒲鞭さだめて螢となりぬらん。

苗代の水にうつりて見ゆるかな
稻葉の雲の秋のおもかげ

 日かずふるままに故郷も戀しく、たちかへり過ぎぬる跡を見れば、何れか山、何れか水、雲よりほかに見ゆるものなし。朝に出で暮に入る、東西を日の光に辨ふといへども、暮るれば泊り明くれば立つ、晝夜を露命に論ぜんことは離し。おのづから歩を拾ひて萬歩に運べば、遠近かぎりありて往還期しつべし。ただ憐れむ、遙かに都鄙の中路に出でて前後の念に勞することを。

ふるさとを山のいくへに隔てきぬ
都の空をうづむしらくも
 夜陰に市腋といふ處に泊る。前を見おろせば、海さし入りて、河伯の民、潮にやしなはれ、後に見あぐれば、峯そばだちて、山祇の髮、風にくしけづる。磐をうつ夜の浪は千光の火を出だし(入海の潮は夜水をうてば火の散る樣にひかるなり)かがなく [3] むささびは孤枕の夢を破る。ここに泊りて心はひとり澄めども、明けゆけば友にひかれて打出でぬ。

松が根の岩しく磯の浪枕

ふしなれてもや袖にかからん



五 市腋より萱津

 七日、市腋をたちて津島のわたりといふ處、舟にて下れば、蘆の若葉、青みわたりて、つながぬ駒も立ちはなれず。菱の浮葉に浪はかくれども、つれなき蛙はさわぐけもなし。取りこす棹のしづく、袖にかかりたれば、

さして物を思ふとなしにみなれざを
みなれぬなみに袖はぬらしつ

 渡りはつれば尾張の國に移りぬ。片岡には朝日の影うちにさして燒野の草に雉なきあがり、小篠が原に駒あれて、なづみし景色、ひきかへて見ゆ。見ればまた園の中に桑あり、桑の下に宅あり、宅には蓬頭なる女、蠶簀に向ひて蠶養をいとなみ、園には潦倒たる翁、鋤をついて農業をつとむ。おほかた禿なる小童部といへども、手を習ふ心なく、ただ足をひぢりこにする思のみあり。わかくよりして業をならふ有樣、あはれにこそおぼゆれ。げに父兄の教へ、つつしまざれども、至孝の志、おのづからあひなるものか。

山田うつ卯月になれば夏引の
いとけなき子も足ひぢにけり
 幽月、影あらはれて旅店に人定まりぬれば、草の枕をしめて萱津の宿に泊りぬ。



六 萱津より矢矧

 八日、萱津を立ちて鳴海の浦に來ぬ。熱田の宮の御前を過ぐれば、示現利生の垂跡に跪いて一心再拜の謹啓に頭をかたぶく。しばらく鳥居に向ひて阿字門を觀ずれば、權現のみぎり、ひそかに寂光の都にうつる。それ土木霜舊りて、瓦の上の松風、天に吹くといへども、靈驗日に新たにして、人中の心華、春の如く開く。しかのみならず、林梢の枝を垂るる、幡蓋を社棟の上におほひ、金玉の檐に [4] たううつ、金色を神殿の面にみがく。かの和光同塵の縁は今日結びて悦びを含むといへども、八相成道の終りは來際を限るに期なきことを悲しむ。羊質未參の後悔に向前の恨みあり、後參の未來に向方のたのみなし。願はくは今日の拜參をもつて必ず當生の良縁とせむ。路次の便詣なりといふ事なかれ、これ機感の相叶ふ時なり。光を交ふるは冥を導く誓なり。明神さだめてその名におへ給はば、長夜の明曉は神にたのみあるものをや。

光とづる夜の天の戸はやあけよ

朝日こひしき四方の空みん

 この浦を遙かにすぐれば、朝には入潮にて [5]魚にあらずば泳ぐべからず。晝は潮干瀉、馬を早めて急ぎ行く。酉天は溟海、漫々として雲水蒼々たり。中上には一葉の舟かすかに飛びて白日の空にのぼる。かの しん男の舟のうちにしてなどや老いにけん、蓬莱島は見ずとも、不死の藥は取らずとも、波上の遊興は、一生の歡會、これ延年の術にあらずや。

老いせじと心を常にやる人ぞ
名をきく島の藥をもとる

 なほこの干瀉を行けば、小蟹ども、おのが穴々より出でてうごめき遊ぶ。人馬の足にあわてて、横に跳り平に走りて、おのが穴々へ逃げ入るを見れば、足の下にふまれて死ぬべきは、外なる穴へ走り行きて命を生き、外におそれなきは、足の下なる穴へ走り來て、ふまれて死にぬ。憐むべし、煩惱は家の犬のみならず、愛着は濱の蟹も深きことを。これを見て、はかなく思ふ我等は、かしこしや否や、生死の家に着する心は、蟹にもまさりて、はかなきものか。

誰もいかにみるめあはれとよる波の
ただよふ浦にまよひ來にけり

 山かさなり又かさなりぬ、河へだたりて又へだたりぬ。ひとり舊里を別れて遙かに新路に赴く、知らず、いづれの日か故郷に歸らむ。影を並べて行く道づれは多くあれども、志は必ずしも同じからねば、心に違する氣色は、友をそむくに似たれども、境にふるる物のあはれは、心なき身にもさすがに覺えて、屈原が澤にさまよひて漁夫があざけりに耻ぢ、楊岐が路に泣きて騷人の恨みをいだきけんも、身の譬にはあらねども、逆旅にして友なきあはれには、なにとなく心細きそらに思ひしられて、

露の身をおくべき山の陰やなき
やすき草葉もあらし吹きつつ
 潮見坂といふ處をのぼれば、呉山の長坂にあらずとも、周行の短息はたへず。歩を通して長き道にすすめば、宮道、二村の山中を遙かにすぐ。山はいづれも山なれども、優興はこの山に秀いで、松はいづれも松なれども、木立はこの松にとどまれり。翠を含む風の音に雨を聞くといへども、雲に舞ふ鶴の聲、晴れの空を知る。松性々々、汝は千年の操あれば面がはりせじ、再征々々、我は一時の命なれば後見を期し難し。

今日すぎぬ歸らば又よ二村の
やまぬなごりの松の下道
 山中に堺川あり、身は河上に浮びてひとり渡れども、影は水底に沈みて我と二人ゆく。

 かくて參河の國に至りぬ。雉鯉鮒が馬場をすぎて數里の野原を分くれば、一兩の橋を名づけて八橋といふ。砂に眠る鴛鴦は夏を辭して去り、水に立てる杜若は時を迎へて開きたり。花は昔の花、色も變らず咲きぬらし、橋も同じ橋なれども、いくたび造りかへつらむ。相如、世を恨みしは、肥馬に乘りて昇仙に歸り、幽士、身を捨つる、窮鳥に類してこの橋を渡る。八橋よ八橋、くもでに物思ふ人は昔も過ぎきや、橋柱よ橋柱、おのれも朽ちぬるか、空しく朽ちぬる者は今も又すぎぬ。

住みわびてすぐる三河の八橋を
心ゆきてもたちかへらばや
 この橋の上に、思ふことをちかひて打渡れば、何となく心もゆくやうにおぼえて、遙かにすぐれば、宮橋といふ處あり、數双の渡し板は朽ちて跡なし、八本の柱は殘りて溝にあり。心中に昔を尋ねて、言の葉に今をしるす。

宮橋の殘る柱にこととはん
くちて幾世かたえわたりぬる
 今日の泊をきけば、前程なほ遠しといへども、暮の空を望めば、斜脚すでに酉金に近づく。日の入るほどに、矢矧の宿におちつきぬ。



七 矢矧より豐河

 九日、矢矧を立ちて赤坂の宿をすぐ。昔この宿の遊君、花齡、春こまやかに、蘭質、秋かうばしき者あり。顏を藩安仁が弟妹にかりて、契を參州吏の妻妾に結べり。妾は良人に先だちて世を早うし、良人は妾におくれて家を出づ。知らず、利生菩薩の化現して夫を導けるか、また知らず、圓通大師の發心して妾を救へるか。互の善知識、大いなる因縁あり。かの舊室妬が呪咀に、拜舞、惡怨、かへりて善教の禮をなし、異域朝の輕 [6] せんに、鼻酸、持鉢、たちまちに智行の徳に飛ぶ。巨唐に名をあげ、本朝に譽れをとどむるは、上人實に貴し。誰かいはん、初發心の道に入るひじりなりとは。これ則ち本來の佛の、世に出でて、人を化するにあらずや。行く行く昔を談じて、猶々今にあはれむ。

いかにしてうつつの道を契らまし
夢おどろかす君なかりせば

 かくて本野が原を過ぐれば、ものうかりし蕨は、春の心おいかはりて人も折らず、手をおのれがほどろと開け、草わかき萩の枝は、秋の色うとけれども、分けゆく駒は鹿毛に見ゆ。時に日 [7]烏、山にかくれて、月、星躔にあらはなれども、明曉を早めて豐河の宿に泊りぬ。深夜に立出でて見れば、この川は流ひろく、水深くして、まことに豐かなる渡りなり。川の石瀬に落つる波の音は、月の光に越えたり。河邊にすぐる風のひびきは、夜の色さやけく、まだ見ぬひなのすみかには、月よりほかに眺めなれたるものなし。

知る人もなぎさに波のよるのみぞ
なれにし月のかげはさしくる


八 豐河より橋本

 十日、豐河を立ちて、野くれ里くれ遙々とすぐる峯野の原といふ處あり。日は野草の露より出でて若木の枝に昇らず。雲は嶺松の風に晴れて山の色、天と一つに染めたり。遠望の感、心情つなぎがたし。

山のはは露より底にうづもれて
野末の草にあくるしののめ

 やがて高志山にかかりぬ。岩角をふみて火敲坂を打過ぐれば、燒野が原に草の葉萠えいでて、梢の色、煙をあぐ。この林地を遙かに行けば、山中に境川あり。これより遠江の國にうつりぬ。

くだるさへ高しといへばいかがせん
のぼらん旅のあづまぢの山
 この山の腰を南に下りて遙かに見くだせば、青海浪々として白雲沈々たり。海上の眺望はここに勝れたり。やうやうに山脚に下れば匿空のごとくに堀り入りたる谷に道あり。身をそばめ聲を呑んで下る。上りはつれば、北は韓康獨り徃くのすみか、花の色、夏の望に貧しく、南は范蠡扁舟の泊り、浪の聲、夕べの聞きに樂しむ。鹽屋には薄き煙、靡然となびきて、中天の雲、片々たり。濱 りうにはあふるる潮涓焉とたまりて、數條の畝、 せき々たり。浪によるみるめは心なけれども黒白をわきまへ、白洲に立てる鷺は心あれども、毛、いさごにまどへり。優興にとどめられて暫く立てれば、この浦の景趣は、ひそかに行人の心をかどふ。

ゆきすぐる袖も鹽屋の夕煙
たつとてあまの淋しとや見め

 夕陽の景の中に橋本の宿に泊る。鼈海、南にたたへて遊興を漕ぎゆく舟に乘せ、驛路、東に通ぜり、譽號を濱名の橋に聞く。時に日車西に馳せて牛漢漸くあらはれ、月輪、嶺にめぐりて、兎景、初めて幽かなり。浦に吹く松の風は、臥しも習はぬ旅の身にしみ、巖を洗ふ波の音は、聞きも馴れぬ老の耳にたつ。初更の間は、日ごろの苦しみに七編のこものむしろに夢みるといへども、深漏は、今宵の泊の珍らしきに目さめて、數双の松の下に立てり。磯もとどろによる波は、水口かまびすしくののしれども、晴れくもりゆく月は、雲の薄衣をきて忍びやかにすぐ。釣魚の火の影は、波の底に入りて魚の肝をこがし、夜舟の棹の歌は、枕の上に音づれて客の寢ざめにともなふ。夜もすでに明けゆけば、星の光は隱れて、宿立つ人の袖は、よそなる音に呼ばはれて、しらぬ友にうちつれて出づ。暫く舊橋に立ちとどまりて、珍らしき渡りを興ずれば、橋の下にさしのぼる潮は、歸らぬ水をかへして上さまに流れ、松を拂ふ風の足は、頭を越えてとがむれども聞かず。大方、羇中の贈り物はここに儲けたり。

橋本やあかぬわたりと聞きしにも
なほ過ぎかねつ松のむらだち浪枕よるしく宿のなごりには
のこして立ちぬ松の浦風


九 橋本より池田

 十一日、橋本を立ちて、橋のわたりより行く行く顧りみれば、跡に白き波の聲は、過ぐるなごりを呼びかへし、路に青き松の枝は、歩むもすそを引きとどむ。北にかへりみれば、湖上遙かに浮んで、波の皺、水の顏に老いたり。西に望めば、潮海ひろくはびこりて、雲の浮橋、風のたくみに渡す。水上の景色は、彼もこれも同じけれども、湖海の淡鹹は、氣味これ異なり。 みぞの上には、波に羽うつみさご、凉しき水をあふぎ、船の中には、唐櫓おす聲、秋の雁をながめて夏のそらに行くもあり。興望は旅中にあれば、感腸しきりにめぐりて、思ひ、やみがたし。

 この處を打過ぎて濱松の浦に來ぬ。長汀、砂ふかくして、行けば歸るが如し。萬株、松しげくして、風波、聲を爭ふ。見れば又、洲島、潮を呑む、呑めば即ち曲浦の曲より吐き出し、濱 い、珠をゆる、ゆれば則ち疊巖の疊に碎き敷く。優なるかな、體なるかな、忘れがたく忍びがたし。命あらば、いかでか再び來りてこの浦を見む。

波は濱松には風のうらうへに

立ちとまれとや吹きしきるらん

 林の風に送られて廻澤の宿をすぎ、遙かに見わたして行けば、岡邊には森あり、野原には津あり。岸に立てる木は枝を上にさして正しく生ひたれども、水にうつる影は梢をさかさまにして互に相違せり。水と木とは相生、中よしと聞けども、映る影は向背して見ゆ。時すでにたそがれになれば、夜の宿をとひて池田の宿に泊る。



一〇 池田より菊川

 十二日、池田を立ちて、くらぐら行けば、林野は皆同樣なれども、ところどころ道ことなれば、見るに從ひてめづらしく、天中川を渡れば、大河にて水の面三町あれば舟にて渡る。水早く、波さかしくて、棹もえさし得ねば、大きなるえぶりを以て横さまに水をかきて渡る。かの王覇が忠にあらざれば、呼他河、氷むすぶべきにあらず、張博望が牛漢の波にさかのぼりけん浮木の船、かくやと覺えて、

よしさらば身を浮木にて渡りなん
天つみそらの中川の水

 上野の原を一里ばかり過ぐれば、千草萬草、露の色なほ殘り、野煙風音また弱し。あはれ同じくは、これ秋の旅にてあれな。

夏草はまだうら若き色ながら
秋にさきだつ野邊のおもかげ
 山口といふ今宿をすぐれば、路は舊によりて通ぜり。野原を跡にし、里村を先にし、うちかへうちかへ過ぎゆけば、事任といふ社に參詣す。本地をば我しらず、佛陀にぞいますらん、薩 [8] たにもいますらん、中丹をば神必ず憐れみ給ふべし。今身もおだやかに、後身もおだやかに、杉の群立は三輪の山にあらずとも、戀しくは訪ひても參らん、願はくはただ畢竟空寂の法味を納受して、眞實不虚の感應を垂れ給へ。

思ふことのままに叶へよ杉立てる
神のちかひのしるしをも見ん

 社のうしろの小河を渡れば、小夜の中山にかかる。この山口を暫くのぼれば、左も深き谷、右も深き谷、一峯に長き路は堤の上に似たり。兩谷の梢を目の下に見て、群鳥の囀りを足の下に聞く。谷の兩片はまだ山高し。この間を過ぐれば中山とは見えたり。山は昔の山、九折の道、舊きが如し。梢は新たなる梢、千條の緑、皆淺し。この處は、その名殊に聞えつる處なれば、一時の程に、ももたび立留まつて打眺め行けば、秦蓋の雨の音は、ぬれずして耳を洗ひ、商絃の風のひびきは、色あらずして身にしむ。

分けのぼるさやの中山なかなかに
越えてなごりぞ苦しかりける
 時に鴇馬蹄つかれて日烏翅さがりぬれば、草命を養はんが爲に菊川の宿にとどまりぬ。ある家の柱に、中御門中納言(宗行卿)かく書きつけられたり。

彼の南陽縣の菊水、下流を汲んで齡を延ぶ、此の東海道の菊河、西涯に宿りて命を全くせんことを。
まことにあはれにこそ覺ゆれ。その身、累葉のかしこき枝に生れ、その官は黄門の高き階に昇る。雲上の月の前には、玉の冠、光を交へ、仙洞の花の下には、錦の袖、色を爭ふ。才、身に足り、榮、分に餘りて、時の花と匂ひしかば、人それをかざして、近きも從ひ遠きも靡き、かかるうき目をみんとは思ひやはよるべき。さてもあさましや承久三年六月中旬、天下、風あれて、海内、波さかへりき。鬪亂の亂將は花域より飛びて合戰の戰士は夷國より戰ふ。暴雷、雲を響かして、日月、光を覆はれ、軍虜、地を動かして、弓劔、威を振ふ。その間、萬歳の山の聲、風忘れて枝を鳴らし、一清の河の色、波あやまつて濁りを立つ。茨山汾水の源流、高く流れて、遙かに西海の西に下り、卿相羽林の花の族、落ちて遠く束關の東に散りぬ。これのみにあらず、別離宮の月光、ところどころにうつりぬ。雲井を隔てて旅の空に住み、鷄籠山の竹聲、かたがたに憂へたり。風、便りを絶えて外土にさまよふ。夢かうつつか、昔も未だ聞かず。錦帳玉 [9] たうの床は主を失ひて武客の宿となり、麗水蜀川の貢は、數を盡して邊民の財となりき。夜晝に戯れて衿を重ねし鴛鴦は、千歳比翼の契、生きながら絶え、朝夕に敬ひて袖を收めし童僕も、多年知恩の志、思ひながら忘れぬ。げに會者定離の習ひ、目の前に見ゆ。刹利も首陀も變らぬ奈落の底の有樣、今は哀れにこそ覺ゆれ。今は歎くとも助くべき人もなし。涙を先だてて心よわく打出でぬ。その身に從ふ者は甲冑のつはもの、心を一騎の客にかく。その目に立つ者は劔戟の刄、魂を寸神の胸に消す。せめて命の惜しさに、かく書きつけられけむこそ、するすみならぬ袖の上もあらはれぬべく覺ゆれ。

心あらばさぞなあはれとみづくきの

あとかきわくる宿の旅人



一一 菊川より手越

 妙井の渡りといふ處の野原をすぐ。仲呂の節に當りて、小暑の氣、やうやう催せども、未だ納涼の心ならねば手にはむすばず。

夏ふかき清水なりせば駒とめて
しばし涼まん日はくれなまし

 播豆藏の宿をすぎて大井川を渡る。この川は中に渡り多く、水またさかし。流を越え島を隔てて、瀬々、かたがたに分れたり。この道を二三里ゆけば、四望かすかにして遠情おさへがたし。時に水風例よりもたけりて、白砂、霧の如くに立つ。笠を傾けて駿河の國に移りぬ。前島をすぐるに波は立たねど、藤枝の市を通れば花は咲きかかりたり。

前島の市には波のあともなし
みな藤枝の花にかへつつ
 岡部の里をすぎて遙かに行けば宇津の山にかかる。この山は、山の中に愛するたくみの削りなせる山なり。碧岩の下には砂長うして巖を立て、翠嶺の上には葉落ちてつちくれをつく。肢を背に負ひ、面を胸に抱きて漸くに登れば、汗、肩袒の膚に流れて、單衣おもしといへども、懷中の扇を手に動かして微風の扶持可なり。かくて森々たる林を分けて、峨々たる峯を越ゆれば、貴名の譽れはこの山に高し。おほかた遠近の木立に心もわけられて、一方ならぬ感望に思ひ亂れてすぐれば、朝雲、峯くらし、虎、李將軍が住みかを去り、暮風、谷寒し、鶴、鄭太尉が跡に住む。既にして赤羽西に飛ぶ。目に遮るものは檜原、槇の葉、老の力ここに疲れたり。足に任するものは、苔の岩根、蔦の下路、嶮難に堪へず。暫く打休めば、修行者一兩客、繩床、そばに立てて又休む。

立ちかへる宇津の山臥ことづてん
みやこ戀ひつつひとり越えきと
 行く行く思へば、過ぎ來ぬるこのあひだの山河は、夢に見つるか、うつつに見つるか。昨日とやいはん、今日とやいはん、昔を今と思へば我が身老いたり、今を昔と思へば我が心若し。古今を隔つるものは我が心の中懷なり。生死涅般、猶如昨夢といへるも、あはれにこそ覺ゆれ。昨日すぎにし跡は今日の夢となり、今日ここを過ぐる、明日いづれの處にして今は昨日といはん。誠にこれ、過ぎぬる方の歳月を、夢より夢に移りぬ。昨日今日の山路は、雲より雲に入る。

あすや又きのふの雲におどろかん
今日はうつつのうつの山ごえ
 手越の宿に泊りて足を休む。



一二 手越より蒲原

 十三日、手越を立ちて野邊を遙々と過ぐ。梢を見れば淺緑、これ夏の初なりといへども、叢を望めば白露、まだきに秋の夕べに似たり。北に遠ざかりて雪白き山あり、問へば甲斐の白峯といふ。年ごろ聞きしところ、命あれば見つ。およそこの間、數日の心ざしを養ひて百年の齡を延べつ。かの上佛の藥は下界の爲によしなきものか。

惜しからぬ命なれども今日あれば
生きたるかひのしらねをも見つ

 宇度の濱を過ぐれば、波の音、風の聲、心澄む處になん。濱の東南に靈地の山寺あり。四方高く晴れて四明天台の末寺なり。堂閣繁昌して本山中堂の儀式を張る。一乘讀誦の聲は十二廻中に聞えて絶ゆることなし。安居一夏の行は、採花汲水の勤め、驗を爭ふ。修するところは中道の教法、論談を空假の頤に決し、利するところは下界衆生、歸依を遠近の境に致す。伽藍の名を聞けば久能寺といふ。行基菩薩の建立、土木、風清し。本尊の實を尋ぬれば觀世音と申す。補陀落山の聖容、出現、月明らかなり。おほかた佛法興隆のみぎり、數百箇歳の星漢、霜古りたり。僧俗止住の峯、三百餘宇の僧坊、霞ゆたかなり。雲船の石神は山の腰に護りて惡障を防ぎ、天形の木容は寺門に納めて善業をなす。(千手觀音かの山より石舟に乘りてこの地に下りたまひけり。その船、善神となりて山路の大坂にいます、石舟の護法と號す)かの海岸山の千眼は南方より北に下りて有縁をこの山に導き、宇度濱の五品は天面を地に傳へて舞樂をこの濱に學べり。(むかし稻河大夫といふ者、天人の濱松の下に樂を調べて舞ひけるを見てまなび舞ひけり。天人、人の見るを見て、鳥の如くに飛びて雲にかくれけり。その跡を見ければ一つの面形を落せり。大夫これを取りて寺の實物とす。それより寺に舞樂を調べて法會を始行す。その大夫が子孫を舞人の氏とす。二月十五日、常樂會とて寺中の大營なり)その後、天人かへり、廻雪は春の花の色、峯にとどまり、曲風は歳月の聲、よつてこの濱を過ぐれば松に雅琴あり波に鼓あり、天人の昔の樂、今聞くに似たり。

袖ふりし天つ乙女が羽衣の
面影にたつあとの白浪
 江尻の浦を過ぐれば、青苔、石に生ひ、黒布、磯による。南は沖の海、 渺々と波をわかして、孤帆、天にとび、北は茂松、欝々と枝をたれて、一道、つらをなす。漁夫が網をひく、身を助けんとして身を勞しぬ。遊魚の釣をのむ、命を惜みて命を滅ぼす。人いくばくの利をか得たる、魚いくばくの餌をか求むる。世を渡る思ひ、命をたばふ志、かれもこれも共に同じ。これのみかは、山に汗かく樵夫は、北風を負ひて曉に歸る。野に足なへぐ商客は、白露を拂ひて曉に出づ。面々の業はまちまちなりといへども、おのおのの苦しみは、これみな渡世の一事なり。

人ごとに走る心は變れども
世をすぐる道は一つなりけり

 この浦を遙かに見わたして行けば、海松は浪の上に根を離れたる草、海月は潮の上に水にうつる影、共にこれ浮世を論じて人をいましめたり。

波の上にただよふ海の月もまた
うかれゆくとぞ我を見るらん

 清見が關を見れば、西南は天と海と高低一つに眼を迷はし、北東は山と磯と嶮難同じく足をつまづく。盤の下には浪の花、風に開きて春の定めなく、岸の上には松の色、翠を含みて秋に恐れず。浮天の浪は雲を汀にて、月のみふね、夜出でて漕ぎ、沈陸の磯は磐を路にて、風の便脚、あしたに過ぐ。名を得たる處、必ずしも興を得ず、耳に耽る處、必ずしも目に耽らず、耳目の感、二つながら絶えたるはこの浦にあり。波に洗はれてぬれぬれ行けば、濁る心も今ここに澄めり。むべなるかな、ここを清見と名づけたる。關屋に跡をとへば松風むなしく答ふ。岸脚に苔を尋ぬれば橦花變じて石あり。(關屋のほとりに布たたみといふ處あり。むかし關守の布をとりおきたるが、積りて石になりたるといへり)

吹きよせよ清見浦風わすれ貝
拾ふなごりの名にしおはめや語らばや今日みるばかり清見潟
おぼえし袖にかかる涙は
 海老は波を泳ぎ愚老は汀にただよふ、共に老いて腰かがまる、汝は知るや生涯の浮める命、今幾ほどと。我は知らず幻中の一瞬の身。かくて興津の浦をすぐれば、鹽竈の煙かすかに立ちて海人の袖うちしほれ、邊宅には小魚をさらして屋に鱗をふけり。松の村立、浪のよる色、心なき心にも、心ある人に見せまほしくて、

ただぬらせ行くての袖にかかる浪
ひるまが程は浦風も吹く
 岫が崎といふ處は、風、飄々と飜りて砂をかへし、波、浪々と亂れて人をしきる。行客ここにたへ、暫くよせひく波のひまを伺ひて急ぎ通る。左はさかしき岡の下、岩のはざまを凌ぎゆく。右は幽かなる波の上、望めば眼うげぬべし。遙々と行くほどに、大和多の浦に來て小舟の沖中にただよへるを見る。飄帆飛びて、萬里、風のたよりを頼みて白煙に入り、鼈波動きて、千里、夕陽を洗ひて紅藍に染む。海館の中に、この處は心をのみとどめて身をばとどめず。

忘れじな浪のおもかげたちそひて
すぐるなごりの大和多の浦
 湯居の宿をすぎて遙かに行けば千本の松原といふ處あり。老の眼は極浦の波にしほれ、おぼろなる耳は長松の風に拂ふ。晴天の雨には翠蓋の笠あれば袖をたくらず。砂濱の水には白花ちれども風を恨みず。行く行くあとを顧りみれば前途いよいよゆかし。

聞きわびぬ千々の松原ふく風の
ひとかたならずわれしほる聲
 蒲原の宿に泊りて菅菰の上に臥せり。



一三 蒲原より木瀬川

 十四日、蒲原を立ちて遙かに行けば、前路に進み先立つ賓は、馬に水飼ひて後河にさがりぬ。後程にさがりたる己は野に草しきてまだ來ぬ人を先にやる。先後のあはれは行旅の習ひも思ひ知られて打過ぐるほどに、富士川を渡りぬ。この川は川中によりて石を流す。巫峽の水のみ何ぞ船を覆さん、人の心はこの水よりも嶮しければ、馬をたのみて打渡る。老馬、老馬、汝は智ありければ山路の雪の下のみにあらず、川の底の水の心もよく知りにけり。

音にききし名高き山のわたりとて
底さへふかし富士川の水

 浮島が原をすぐれば、名は浮島と聞ゆれども、まことは海中とは見えず、野徑とはいひつべし。草むらあり木樹あり、遙かに過行けば人煙片々、絶えて又たつ。新樹、程を隔てて隣互にうとし。東行西行の客はみな知音にあらず、村南村北の路にただ山海を見る。

おのづから知る人あらばいかがせん
うときにだにも過ぐるなごりを

 富士の山を見れば、都にて空に聞きししるしに、半天にかかりて群山に越えたり。峯は鳥路たり、麓は蹊たり、人跡、歩に絶えて獨りそびえあがる。雪は頭巾に似たり、頂に覆ひて白し。雲は腹帶の如し、腰にめぐりて長し。高きことは天に階たてたり、登る者はかへつて下る。長きことは麓に日を經たり、過ぐる者は山を負ひて行く。温泉、頂に沸して細煙かすかに立ち、冷池、腹にたたへて洪流をなす。まことにこの峯は、峯の上なき靈山なり。靈山といへば、定めて垂跡の權現は釋迦の本地たらんか。かの仙女が變態は柳の腰を昔語りに聞き、天神の築山は松の姿を今の眺めに見る。(山の頂に泉あつて湯の如くにわくといふ。昔はこの峯に仙女つねに遊びけり。東の麓に新山といふ山あり。延暦年中、天神くだりてこれをつくといへり)すべてこの峯は、天漢の中にひいりて人衆の外に見ゆ。眼をいただきて立ちて、神、恍々とほれたり。

いくとせの雪つもりてか富士の山
いただき白きたかねなるらむとひきつる富士の煙は空にきえて
雲になごりのおもかげぞたつ
 昔採竹翁といふ者ありけり。女をかぐや姫といふ。翁が家の竹林に、鶯の卵、女形にかへりて巣の中にあり。翁、養ひて子とせり。人となりて顏よきことたぐひなし。光ありて傍を照らす。嬋娟たる兩鬢は秋の蝉の翼、宛轉たる雙蛾は遠山の色、一たび笑めば百の媚なる。見聞の人はみな膓を斷つ。この姫は先生に人として翁に養はれたりけるが、天上に生れて後、宿世の恩を報ぜむとて、暫くこの翁が竹に化生せるなり。憐れむべし父子の契の他生にも變ぜざることを。これよりして青竹の節の中に黄金出來して貧翁たちまちに富人となりにけり。その間の英華の家、好色の道、月卿、光を爭ひ、雲客、色を重ねて艶言をつくし懇懷をぬきんず。常にかぐや姫が家屋に來會して、絃を調べ歌を詠じて遊びあひたりけり。されども、翁姫、難問を結びて、よりとくる心なし。時のみかど、このよしを聞しめして召しけれども參らざりければ、みかど、御狩の遊びのよしにて、鶯姫が竹亭に幸し給ひて、鴛の契を結び松の齡をひき給ふ。翁姫、思ふところありて後日を契り申しければ、みかど、空しく歸り給ひぬ。もろもろの天これを知りて、玉の枕、金の釵、いまだ手なれざるさきに、飛車を下して迎へて天に昇りぬ。關城のかためも雲路に益なく、猛士が力も飛行にはよしなし。時に秋のなかば、月の光、くもりなき頃、夜半の氣色、風の音づれ、物を思はぬ人も物思ふべし。君の思ひ、臣の懷ひ、涙おなじく袖をうるほす。かの雲をつなぐにつながれず、雲の色、慘々として暮の思ひ深し。風を追へども追はれず、風の聲、札々として夜の怨ながし。華氏は奈木の孫枝なり、藥の君子として萬人の病を癒す。鶯姫は竹林の子葉なり、毒の化女として一人の心をなやます。方士が大眞院を尋ねし貴妃のささめき、再び唐帝の思にかへる。使臣が雲の峯に登る、仙女の別れのふみ、永く和君の情を焦せり。

 (翁姫、天にあがりける時、みかどの御契さすがに覺えて、不死の藥に歌を書きて具して留めおきたり。その歌にいふ、

今はとて天の羽衣きる時ぞ
君をあはれと思ひ出でぬる

 みかど、これを御覽じて、忘れがたみは見るも恨めしとて、怨戀にたへず、青鳥を飛ばして雁札を書きそへて、藥を返し給へり。その返歌にいふ、

あふことのなみだに浮ぶわが身には
死なぬ藥もなににかはせん
 使節、智計をめぐらして、天に近き處はこの山にしかじとて、富士の山に登りて燒きあげければ、藥もふみも煙にむすぼほれて空にあがりけり。これよりこの嶺に戀の煙を立てたり。よりてこの山をば不死の峯といへり。しかして郡の名につきて富士と書くにや)

 彼も仙女なり、これもまた仙女なり。共に戀しき袖に玉ちる。彼は死して去る、これは生きて去る、同じく別れて夜の衣をかへす。すべて昔も今も、顏よき女は國を傾け人を惱ます。つつしみて色にふけるべからず。

天つ姫こひし思ひの煙とて
立つやはかなき大空の雲
 車返しといふ處を過ぐ。この處は、もし昔、蟷螂の路に當りて行人を留めけるか。もし遊兒の土城を築きて孔子の諫に答へけるか。(昔小童部の路中に小家を造りて遊びけるに孔子の通るとて、車にあやふし、そこのけと諫められけるに、小童部の曰く、車は家のある所をのきて過ぐべし、未だ聞かず、家の車に去ることをと。孔子これを聞きて車をめぐらして歸りけり)もし又勝母の里ならば曾參にあらずともいかが通らむ。(曾子は孝心深き人にて不孝の者の居たる所をば車を返して通らず)嶮岨の地なれば大行路とはいひつべし。(この道はさかしくして車をくだく)されども騎馬の客なれば打連れて通りぬ。

むかしたれここに車のわづらひて
ながえを北にかけはづしけん
 木瀬川の宿に泊りて萱屋の下に休す。ある家の柱に、またかの納言(宗行卿の御事なり)和歌一首をよみて一筆の跡をとどめられたり。

今日すぐる身を浮島が原に來て
つひの道をぞきき定めつる
 これを見る人、心あればみな袖をうるほす。それ北州の千年は限を知りて壽を歎く。南州の不定は期を知らずして壽を樂しむ。まことに今日ばかりと思ひけむ心の中を推すべし。おほかたは昔語りにだにも哀れなる涙をのごふ。いかにいはんや我も人も見し世の夢なれば驚かすにつきて哀れにこそ覺ゆれ。さても峯の梢を拂ひし嵐の響に、思はぬ谷の下草まで吹きしぼれて、數ならぬ露の身も置き所なくなりてしより、かくさまよひて命を惜みて失せにし人の言葉を、生けるを厭ふ身は、今までありてよそに見るこそあはれなれ。さてもこの歌の心を尋ぬれば、納言、浮島が原を過ぐるとて、物を肩にかけて上る者あひたりけり。問へば按察使光親卿の僮僕、主君の遺骨を拾ひて都に歸ると泣く泣くいひけり。それを見るは身の上の事なれば、魂は生きてよりさこそは消えにけめ。もとより遁るまじと知りながら、おのづから虎の口より出でて龜の毛の命もや得ると、なほ待たれけん心に、命はつひにと聞き定めて、げに浮島が原より我にもあらず馬の行くにまかせてこの宿に落ちつきぬ。今日ばかりの命、枕の下のきりぎりすと共に泣きあかして、かく書きとどめて出でられけんこそ、あはれを殘すのみに非ず、亡きあとまで心も深く見ゆれ。

さぞなげに命もをしの劔羽に
かかる別れを浮島が原


一四 木瀬川より竹の下

 十五日、木瀬川を立つ。遇澤といふ野原をすぐ。この野、何里とも知らず、遙々と行けば、納言は、「ここにてはや暇うべし」と聞えけるに、「心中に所作あり今しばし」と乞ひ請けられければ、なほ遙かに過ぎ行きけん、げに羊の歩みに異ならず。心ゆきたる歩きなりとも、波の音、松の風、かかる旅の空は、いかが物あはれなるべきに、いはんや馬嵬の路に出でて牛頭の境に歸らんとする涙の底にも、都に思ひおく人々や心にかかりて、ありやなしやの言の葉だにも、今ひとたび聞かまほしかりけん。されども隅田川にもあらねば、こととふ鳥の便りだになくて、この原にて永く日の光に別れ、冥き路に立ちかくれにけり。

都をばいかに花人春たえて

東の秋の木の葉のとは散る

 やがて按察使(光親卿)前左兵衞督(有雅卿)同じくこの原にて末の露もとの雫とおくれ先立ちにけり。それ人、常の生なし、それ家、常の居なし。これは世の習ひ、事のことわりなり。されども期來りて生を謝せば、理を演べて忍びぬべし。縁つきて家を別れば、習ひを存じて慰みぬべし。別れし處は憂き處なり、都のほかの荒々たる野原の旅の道、沒せし時はいまだしき時なり、恨を含みし悄々たる秋天の夕の雲。まことに時の災 げつの遇に逢へりといへども、これはこれ、先世の宿業の報へる報ひなり。そもそもかの人々は、官班身を飾り、名譽聞きを飽く。君恩あくまでうるほして降る雨の如し。人望かたがたに開けて盛なる花に似たりき。中に黄門都護は、家の貫首として一門の間に けんをおし開き、朝の重臣として萬機の道に線を調へき。誰か思ひし、天にはかに災を降して天命を滅ぼし、地たちまちに夭をあげて地望を失はんとは。哀なるかな、入木の鳥の跡は千年の記念に殘り、歸泉の靈魂は九夜の夢に迷ひにき。されども善惡、心に強くして生死はただ恨なりと思へりき。つひに十念相續して他界に移りぬ。夏の終り秋の始め、人醉ひ世濁りしてその間の妄念はさもあらばあれ、南無西方彌陀觀音、その時の發心なほざりならずば來迎たのみあり。これやこの人々の別れし野邊と打眺めてすぐれば、淺茅が原に風たちて、靡く草葉に露こぼれ、無常の郷とはいひながら、無慚なりける別れかな。有爲の境とは思へども、うかりける世の中かな。官位は春の夢、草の枕に永く絶えぬ。榮樂は朝の露、苔のむしろに消えはてぬ。死して後の山路は從はぬ習ひなれば、おくるる恨もいかがせん。東路にひとり出でて、けやけき武者にいざなはれ行きけん心のうちこそ哀れなれ。かの冥吏呵責の庭に、ひとり自業自得の斷罪に舌をまき、この妻恩別離の跡に、各、不意不慮の横死に涙をかく。生きての別れ、死にての悲み、二つながらいかがせん。眞を寫してもよしなし、一生いくばくか見ん、魂を訪らひて足りぬべし、二世の契むなしからん。

思へばなうかりし世にもあひ澤の
水のあわとや人の消えなん

 今日は足柄を越えて關の下の宿に泊るべきに、日路に烏むらがり飛びて、林の頂に鷺ねぐらを爭へば、山のこなたに竹の下といふ處に泊る。四方は高き山にて、一河、谷に流れ、嵐おちて枕をたたく、問へばこれ松の音。霜さえて袖にあり、拂へばただ月の光、寢ざめの思ひにたへず。ひとり起きゐて殘りの夜を明かす。

見し人に逢ふ夜の夢のなごりかな
かげろふ月に松風のこゑふくる夜の嵐の枕ふしわびぬ
夢もみやこに遠ざかり來て


一五 竹の下より逆川

 十六日、竹の下を立ち、林の中をすぎて遙々ゆけば、千束の橋を獨梁にさしこえて、足柄山に手をたてて登れば、君子、松いつくしくて貴人の風、過ぐる笠をとどめ、客雲、梢に重なりて故山の嶺あらたに高し。朝の間は雨降りて松の風、聲の虚名をあらはす。程なく、日兎、岡の東にのぼりて、雲早く驛路の天に晴れぬ。かの山祇の昔の歌は遊君が口に傳へ、嶺の猿の夕べの鳴きは行人の心を痛ましむ。(むかし青墓の宿の君女この山を越えける時山神翁に化して歌を教へたり。足柄といふはこれなり)時に萬仭、峯高し、木の根にかかりて腰をかがめ、千里、巖さかし、苔の鬚をかなぐりて脛をののく。山中を馬返しといふ、馬もしここにとどまりたらましかば馬鞍とぞいはまし。これより相模の國に移りぬ。

秋ならばいかに木の葉の亂れまし
あらしぞおつる足柄の山

 關下の宿をすぐれば、宅をならぶる住民は人をやどして主とし、窓にうたふ君女は客をとどめて夫とす。憐れむべし千年の契を旅宿一夜の夢に結び、生涯のたのしみを往還諸人の望にかく。翠帳紅閨、萬事の禮法ことなりといへども、草庵柴戸、一生の歡遊これ同じ。

櫻とて花めく山の谷ほこり
おのが匂ひも春はひととき
 路は順道なれども宿の逆川といふ處に泊る。(潮のさす時は上さまに水の流るればさか川といふ)北は片岡、舊 りううちすさみて薄の燒け折れ青葉にまじり、南は滿海、浪わきあがりて白馬ならびわたる。しかのみならず、前汀東西、素布を長疊の波に洗ひ、後園町段、緑袂を萬莖の竹にかく。時に暮れゆく日脚は、影を遠島の松にかくし、來り宿する疎人は、契を同驛のむしろに結ぶ。かの草になつく疲馬は、胡國を忍びて北風にいばへ、野に放つ休牛は、呉地にならひて夜の月にあへぐ。棹歌數聲,舟船を明月峽のほとりによせ、松琴萬曲、琵琶を潯陽江の汀に聞く。一生の思出は今夜の泊にあり。

行きとまる磯邊の浪のよるの月

旅寢のそでにまたやどせとや



一六 逆川より鎌倉

 十七日、逆川を立ちて平山をすぐ。高倉宰相中將(範茂)急川といふ淵にて底のみくづと沈みにけり。つらつらその昔を思へば哀れにこそ覺ゆれ。日本國母の貴光をかがやかす光の末に身を照らし、天子聖皇の恩波をそそぐ波のしづくに家をうるほす。羽林の花、新たに開け、春にあへる匂ひ、天下に薫ばし。射山の風あたたかにあふぐ、時にあたる響き、をちこちにふるふ。計りきや、榮木、嵐たたきて、その花、塵となり、逝水、ながれ速かにして、その身、泡と消えんとは。連枝の契、片枝はや折れぬ。家苑の地、跡むなしく殘れり。 ひもくのむつび一頬をならべず、他郷の水落ちて歸らず、一生ここにつきぬ。この川は三泉の水口たるか。いふことなかれ水こころなしとは、波の聲、鳴咽して哀傷をよす。

流れゆきて歸らぬ水のあはれとも

消えにし人の跡と見ゆらん

 このついでに相尋ぬれば、一條宰相中將(信能)美濃の國遠山といふ處にて、露の命、風、をかしてけり。それ洛中に別れを催しし日は、家を離れし恨、いよいよ惡業の媒たりしかども、旅の路に手をひらきし時は、家を出づる悦、遠き善縁の勸にあへり。掌を合せ、念を正しくして魂ひとり去りにけり。臨終の儀を論ぜば往生ともいふべし。東土には、たとひ勇士永く一期の壽木を切るとも、西刹には、聖衆さだめて九品の寶蓮に導き給ふらん。かの羽化を得て天闕に遊びにし八座の莚、家門の塵を打拂ひ、虎賁をかねて仙洞に走る累葉の花、芳枝の風にほころびき。痛ましいかな、平日の影、盛んにして未だ西天の雲に傾かざるに、壽堂の扉、永く閉ぢて [10]北 ばうの地に埋む事を。花の床をなにか去りけん、跡にとまりて主なし。親族は悲めどもよしなし、旅に出でて獨り死にぬ。楊國忠が他界に移りし、知らず人の恨をなすことを。平章事の遠山に滅びし、思ひやりき身の悲み遠く含みけんことを。かの東平王の舊里を思ふ、墳上の風、西に靡く、まことにさこそはと哀れにこそ覺ゆれ。

思ひきや都をよそに別れ路の
遠山のへの露きえんとは

 それ人の生れたるは庭に落つる木の葉の風に動くが如し。風やみぬれば動かず。死と思ふは旅に出づる行客の宿に泊るが如し。ここに別れぬといふともかしこに生れぬ。ただ煩惱の眼のみ見ざることを悲み、愚痴の心のみ知らざることを恨むべし。早く別れを惜まん人は、再會を一佛の國に約し、恩を戀ひん人は、追福を九品の道に訪ふべし。

今さらになに嘆くらむ末の露
もとより消えんものと知らずや
 大磯の浦、小磯の浦を遙々とすぐれば、雲の橋、浪の上に浮びて、鵲の渡し守、天つ空に遊ぶ。あはれ淋しき空かな、眺め馴れてや人は行くらんな。

大磯や小磯の浦の浦風に
行くとも知らずかへる袖かな
 相模川を渡りぬれば、懷島に入りて砥上の原に出づ。南の浦を見やれば、波の綾、織りはへて白き色をあらふ。北の原を望めば、草の緑、染めなして淺黄をさらせり。中に八松とふ處あり。八千歳の蔭に立寄りて十八公の榮を感ず。

八松の千世ふるかげに思ひなれて
とがみが原に色もかはらず
 片瀬川を渡りて江尻の海汀をすぐれば、江の中に一峯の孤山あり。山に靈社あり、江尻の大明神と申す。感驗ことにあらたにして、御前をすぐる下り船は上分を奉る。法師は詣らずと聞けば、その心を尋ぬるに、むかしこのほとりの山の山寺に禪僧ありて法華經を讀誦して夜を明し日を暮らす。その時、女形出で來て夜ごとに聽聞して、明くれば忽然として失せぬればその行くへを知らず。僧これを怪しみて、絲を構へてひそかにその裾につけてけり。あくる朝に絲を見れば海上にひきて彼の山に入りぬ。巖穴に入りて龍尾につきたりけり。神龍、現形して後、僧に耻ぢてこれを入れずといへり。それ權現は利生の姿なり、化現せば何ぞ姿に憚からん。弘經は讀誦の僧なり、經を貴まば何ぞ僧を厭はんや。ふかき誓は海に滿てり、波にたるるあと、蕊體は天に知られたり、雲に響く聲。されども神慮は人知るべからず。宜禰が習はしに從ひて伏し拜みて通りぬ。

江の島やさして潮路にあとたるる
神はちかひの深きなるべし

 路の北に高き山あり。山の峯、かぶろにて高からずといへども、怪石ならびゐて興なきにあらず。歩をおさへて石を見れば、むかし浪の堀りうがちたる磐どもなり。海も久しくなれば干るやらむと見ゆ。

 腰越といふ平山のあはひを過ぐれば稻村といふ處あり。さかしき岩の重なりふせるはざまを傳ひ行けば、岩にあたりてさきあがる浪、花の如くに散りかかる。

うき身をば恨みて袖をぬらすとも
さしてや波に心くだかん
 申の斜に湯井の濱に落ちつきぬ。暫く休みてこの處を見れば,數百艘の舟、ともづなをくさりて大津の浦に似たり。千萬宇の宅、軒をならべて大淀のわたりにことならず。御靈の鳥居の前に日を暮らして後、若宮大路より宿所につきぬ。月さしのぼりて、夜もなかばにふけぬれば、思ひおきたる老人、おぼつかなく覺えて、

都には日を待つ人を思ひおきて
あづまの空の月を見るかな
 鷄鳴八聲の曉、旅宿一寢の夢おどろきて立ち出でて見れば、月の光、屋上の西に傾きぬ。

思ひやる都は西にありあけの
月かたぶけばいとどかなしき


一七 鎌倉遊覽

 十八日、この宿の南の檐には高き丸山あり。山の下に細き小川あり。峯の嵐、聲落ちて夕べの袖をひるがへし、彎水、響そそいで夜の夢を洗ふ。年ごろゆかしかりつる處、いつしか周覽相催し侍れども、今に旅なれねば今日は空しく暮らしつ。

 相知りたる人、一兩人はべるをたのみて、物なんど申さんと思ふほどに、違ひて無ければ、いとど便りなくて、

たのみつる人はなぎさの片し貝
あはぬにつけて身を恨みつつ

 さらぬ人は多けれども、うとければ物いはず。その中に古き得意ひとりありて不慮の面談をとぐ。まづ往事の夢に似たることを哀しみて、次に當時の昔に變ることを歎く。互に心懷をのべて暫く相語る。

 その後、立ち出でて見れば、この處の景趣は、海あり山あり、水木便りあり、廣きにもあらず狹きにもあらず、街衢の巷は、かたかたに通ぜり。げにこれ聚をなし邑をなす、郷里、都を論じて、望み、まづめづらし。豪を撰び賢を撰ぶ、門郭、しきみを並べて、地またにぎはへり。おづおづ將軍の貴居をかいまめれば、花堂高くおし開いて翠簾の色喜氣を含み、朱欄たへに構へたり、玉砌の積石光をみがく。春にあへる鶯の音は、好客、堂上の花にさへづり、朝を迎ふる龍蹄は、參會、門前の市にいばゆ。論ぜず、もとより春日山より出でたれば貴光高く照らして萬人みな瞻仰す。土風塵を拂ふ、威權遠くいましめて四方ことごとく聞きに恐る。何ぞいはんや、舊水、源、すみまさりて清流いよいよ遺跡をうるほし、新花、榮えあざやかに開いて紫藤はるかに萬歳を契る。おほよそ坐制を帷帳の中にめぐらして、懲肅を郡國の間につづめたり。しかのみならず、家屋は戸ぼそを忘れて夜の戸をおし開き、人倫は心ととのへて誇るとも傲らず。憲政の至り、治まりて見ゆ。

夜の戸ものどけき宿に開くかな
くもらぬ月のさすにまかせて
 この縁邊につきて、おろおろ歴覽すれば、東南角の一道は、舟 しようの津、商賈のあきびとは百族滿ちにぎはひ、東西北の三界は、高卑の山、屏風の如くに立廻りて所を飾れり。南の山の麓に行きて、大御堂、新御堂を拜すれば、佛像烏瑟の光は、瓔珞、眼にかがやき、月殿畫梁の粧ひは、金銀、色を爭ふ。次に東山のすそに望みて二階堂を禮す。これは餘堂に たくれきして感嘆および難し。第一第二、重なる檐には、玉の瓦、鴛の翅を飛ばし、兩目兩足の並び給へる臺には、金の盤、雁燈をかかげたり。おほかた、魯般、意匠を窮めて成風天の望にすずしく、 び首、手功を盡せり、發露、人の心に催ほす。見れば又、山に曲水あり庭に怪石あり。地形の勝れたる、仙室といひつべし。三壺に雲浮べり、七萬里の浪、池邊によせ、五城に霞そばだてり、十二樓の風、階の上に吹く。誤りて半日の客たり、疑ふらくは七世の孫に逢はんことを。夕べに及びて西に歸りぬ。鶴が岡に登りて鳩宮に參す。緋の玉垣、靈鏡に映じて、白妙の木綿幣、夜風にそよめけり。銀の [11] こじりは朱檻を磨き、錦のつづれは花軒にひるがへる。暫く法施たてまつりて瑞籬に候すれば、神女が歌の曲は權現垂跡の隱教に叶ひ、僧侶の經の聲は衆生成道の因縁を演ぶ。かの法性の雲の上に寂光の月老いたりといへども、若宮の林の間に應身の風仰ぎて新たなり。

雲の上にくもらぬかげを思へども

雲よりしたにくもる月影

 月の光にたたずみて、石屋堂の山の梢かすかに眺めていぶせく歸る。



一八 西歸

 たまたまの下向なれば、遊覽の志、切々なれども、經廻わづかに一旬にして、上洛すでに五更になりぬれば、なごりの莚を卷きて出でなんことをいそぐ。時に入合の鐘のこゑ、うちおどろかせば、永しと思ひつる夏の日も、今日はあへなく暮れぬ。一樹の蔭、宿縁あさからず、拾謁のむつび、芳約ふかき人あり。暫く別れを惜みて志をのぶ。

きてもとへ今日ばかりなる旅衣
あすには都にたちかへりなん

 返事

たびごろもなれきて惜むなごりには
かへらぬ袖もうらみをぞする
 五月の短夜、郭公の一聲の間に明けなんとすれども、あやめの一夜の枕、再會不定の契を結びて捨てて出でぬ。

かりふしの枕なりともあやめ草
ひとよのちぎり思ひ忘るな
 由井の濱をかへり行けば、浪のおもかげ立ちそひて、野にも山にも、はなれがたき心ちして、

馴れにけり歸る濱路にみつしほの
さすがなごりにぬるる袖かな


一九 花京の老母

 人をたのみて下るほどに、頼む人、にはかに上りなんどすれば、身を無縁の境に捨てて志を有願の道(便宜あらば善光寺へ參るべき思ひ侍りき)にとげばやと存ずれども、花京に老いたる母あり。嬰兒にかへりて愚子をしたひ待つ。夷郷にうかれたる愚子は、萬里を隔てて母を思ひおく。斗藪の爲に暇を乞ひて出でしかども、棄つるとや恨むらむ。無爲に入るは眞實の報恩なれども、有爲の習ひはうときに恨あり。もとより思はず東鄙の經廻を、今はいよいよ急ぐ西路の歸願。かの最後の命に遇ふことは先世の縁なれば、坐したりともたがひなむ、たがひたりとも來りなん。ただ契の淺深によせて志の有無にまかせたり。悲しむらくは親も老いたり子も老いたり。何れか先立ち何れか後れん。ただ嘆くところは、母山の病木、八旬の涯に傾きて一房の白花いまだ開けざるに、子石の枯れたる苔、半百の波におぼれて一滴の雫いまだ汲まざることを。朝に省りみ、夕に定むる志、とげずして止みなば、佛に祈り神に祈る功それ如何せん。我聞く、佛神は孝養の爲に擁護の誓を發し、經論は報恩の爲に讃嘆の詞を述べたり。壯齡の昔は將來をたのみて天に祈りき、衰運の今は先報を顧りみて身を恨む。もしこれ不信の雲に覆はれて感應の月の現はれざるか。もしこれ過去の福因を植ゑずして現在の貧果を得たるか。先報によるべくば、佛の誓、たのむや否や。誓願によるべくば、我が孝行の何ぞ空しき。信否ともに惑ひて妄恨みだりにおこる。天眼あひなだめて憐れみを垂れ給へ、悲母の目前には中懷を謝して白髮をおろし、愚子が身上には本望を遂げて墨衣を着たることを。夢間の笋は、たとひ一旦の雪に求め失ふとも、覺路の蓮は必ず九品の露に開き置くらん。子養は子の志につくす、風樹は風殘すことなかれ。

いかにせん結ぶ果をまたずして

秋のははそに落つる山風



二〇 東國は佛法の初道

 東國はこれ佛法の初道なれば、初心沙彌のことさらに修行すべき方なり。この故に木方初發の因地より萠して、金刹極證の果門を開かんと思へり。觀よそれ、けがらはしき濱路を過ぎ行くだにも、白砂、松おもしろく見ゆ。まして極樂金繩の道こそ思ひやるもゆかしけれ、銀樹七重の風、無苦の聲を調へ、紫蓮千葉の露、常樂の色に染む。功徳の池には、水、煩惱の汗を洗ひ、善根の林には、花、菩提の果を結ぶ。宮殿は十方に飛びて過ぐるごとに利生を約諾す。生ずる人はみな説法集會の遊に交はりて無量の壽を延年し、來る者は悉く見聞佛法の寶に誇りて不退の樂みに世會す。久遠世々の父母は珍しく本覺の如來に現はれ、過去生々の妻子は、なつかしくして新來の菩薩にむつびたり。法喜禪悦の味ひは口の中にみち、端巖殊妙の飾は身の上に備はれり。おほよそ三千一念の月、胸に晴れ、第一義空の水、心に澄めり。この故に無始來のねむりは、夢永くさめ、六趣輪の冥は、盲眼ひらけたり。かの無諍念王の故郷をしのぶ契、娑婆に厚く、法藏因位の舊臣を憐れむ志、我等に深し。これによりて九品覺王の善政を垂る。一念奉公の輩、しかしながら平等引接の賞に預かり、諸大薩 [12] たの僉議をなす、六賊重科の犯、すべて皆空無漏の旨を奏す。七寶の高臺には、四十八願の主、五劫思惟の光を放ちて念佛の行者を照し、二脇の片座には、三十三身の尊、大悲誓願の網をたれて苦海の沈物を救ふ。故に三世佛の濟度にもれたる五逆の罪人も、願海不捨の船に棹さして彼岸にわたり、十方土の淨刹に捨てられたる此界の惡徒は、大雄超世の翅にかかりて西天に飛ばむ。あはれ、とく生れて利生の道に入らばやな。

浪風もみのりの聲をとく聞きて
みるめ苦しき海をいでばや迷ひ來てまた迷ひこん假の宿に
永くかへらぬ道にかへらん



二一 東國にさまよひ行く子

 東國にさまよひ行く子あり。もとの城國を別れて假の宿に臥せり。西刹に尋ぬる母います。あはれ、求めて彼の國に導くその母といます。佛は三字名號を子供に授けて三因佛性の隱れたるを呼び出だし、十念の來迎を最後に契りて十地證王の位に即く。信力よわき者には他力を與へてこれを濟ふ。倒れ臥したる赤子を親のいだくが如し。念緒つよき者は願緒にすがりて自ら進む。驥につく蠅の千里にかけるが如し。されども具縛の憂き身は一榮の肴にすすめられて三毒の酒に醉臥し、世路の嶮難に疲れて仙界の正道に迷ひぬ。妻子を思ふ心冥にくらまされて心佛の光を隔てたり。菩堤の鹿は罪業の山に隱れて、驅れどもいまだ出でず。煩惱の虎は功徳の林を別かつて追へども歸らず。睡眠の閨には、曉の鐘の聲、打驚かせども、諸行無常の告をさとらず。遊戯の床には、暮の日、さし驚かせども、分段有爲の理を辨まへず。老少不定の悲みは眼に遮ぎりて雲の如くに騷げども、心、空にして思はず。先後相違の別れは耳に滿ちて風の如くにひらけども、聞き、つれなくして悲まず。老いたるは老いたればいよいよ餘命を惜み、若きは若ければまことに將來を期す。その間、山水、齡ながれて俄に泉に歸し、風煙、命ほろびて忽に冥に迷ひぬ。貯ひ持つ貯ひは惜めども荷なはず。養ひおける僕從は哭すれども隨はず。終に天使に召されて地獄におちぬれば、冥路、山さかし、嬰兒の歩みにただよひて獨り行く。黄泉、水早く、ただ己の涙に溺れて身を流す。悲しきかな、悲しきかな、獄卒の呵責にかかりて、後悔、魂をくだき、閻王の斷罪におののきて、前非、舌をまく。惡行、耻を露はす、鏡の中の影、自業、陳じがたし、机の上の文。ああ十八猛鬼の怨忿と怒れる聲、天雷の落ちかかるが如し。六十四眼の睚眦とにらめる光、熱鐵のほとばしるに似たり。逃げんとすれども逃げられず、刄のふる所。喚ばんとすれども喚ばれず、 焔にむせぶ時。心うきかな、猛火の薪木となりて萬億歳、罪根山の林、夏久し。寒風の水に沈みて無量劫,業報池の氷、春に別れたり。我等、前非ここに謝せずば、後悔またいかがせん。心あらむ人、誰か悲しまざらんや。

見ねばとや痛き心もなかるらん

聞くも身にたつ劔葉の枝



二二 極樂西方に非ず

 ただし極樂、西方に非ず、己が心の善心の方寸にあり。泥梨、地の底に非ず、己が惡念の心地にあり。彌陀、うとき佛にいまさず、自らが本有の心性にあり。獄卒、知らぬ鬼に非ず、己が所感の業因にあり。雪つもりて山をなす、春の日に當れば消えて殘らず。金くだけて灰にまじる、水に入れてゆれば失することなし。罪雪きえなば善根は露はれぬべし。迷へる時は目をひさぎて我が身をだも見ず。悟れる時には目を開きて人のからだを見る。障子を隔ててあなたは十萬億士と思へども、引開けたればただ一間のうちなり。佛性の水、煩惱の風に氷れども、思ひ解けば、水とは誰か知らざらん。貧なりとも嘆くべからず、電泡の身には幾ばくの嘆きぞや。樂しむともおごるべからず、幻化の世には幾ばくの樂しみぞや。樂しみは大僑慢のあだなり、あだは則ち惡趣に引落す。貧は小道心の媒なり、媒は則ち善所に引きあぐ。財は先生の怨敵なり、貪着、身をしばりて四生の牢獄にこむ。貧は今生の知識なり、愛欲、心をゆるめ、三界の樊籠をいだす。この故に世を厭ふ人は沙門と名づけて樂しめる人とす。我等八苦の病は重くとも、念佛の藥に愈えぬべし。名利の敵はうかがふとも、非人の身には敵すべからず。上界天人の快樂も心にくからず、過去生々に幾たびか受けたる。國王大臣の果報もうらやましからず、流來世々に幾たびか得たりし。六趣の住みかは、うとみはてたる所なり。九品の都こそ未だ見ねば戀しけれ。戀しくば誰か參らざるべき。たまたま人身を受けたるは、梵天の絲に海底の針を釣り得たる時なり。佛法の教木、龜眼の語に信じ得たる時なり。これだにも有難しと思へば、十方佛土に又二つとなき一乘妙法に生れあひて、十惡をも疎まず引接を垂れ給ふ阿彌陀佛を念じ奉るは、口のあればただに唱へゐたるか、耳のあればただ聞きゐたるか。あな淺ましの安さや。無始生死の間に、塵の結縁つもりて泰山となり、露の功徳たまりて蒼海とたたへて善根林をなし、機感、時を得て今生を生死の終とし、當來を解脱の始とする人間に生れてこの縁にあひたり。故に慈父長者は貧者の爲に福徳の經を説きて化一切衆生とこしらへ、皆令入佛道とよろこび、悲母教主は弱き子供の爲に誓願を發して此願不滿足と舌をのごひ、誓不成正覺と口をはく。ここに知りぬ、この南浮は西方の出門なりといふ事を。道心はたとひ堅固ならずとも、慚愧の杖を取りしばりて常に身をいましめ、葉塵はたとひ積りゐるとも、懺悔の箒を束ねて常に心を清めん。然らば則ち、櫻花枝にこもれり、春の候を迎へて聞きなんとす。佛種胸に埋もれり、終りの時に臨みて宜しく萠すべし。

 そもそも、これは羇中の景趣にあらず、在外の淺き狂言なり。然り而うして、魚にあらざれば魚の心を知るべからず、我にあらずば我が志を悟るべからず。駿蹄の千里に馳するも、駑駘の咫尺に足なえぐも、志の行くほどは至る所たがはず。大鳳の雲に翔るを羨みて小鳥の籬に遊ぶばかりなり。これただ家を出でし始め、道に入りし時、身の悲しみに催されて、人の嘲をかへりみず、愚懷の爲にこれを記す、他興の爲にこれを書かず。嘲らん人、憐まん人、順逆の二縁、共に一佛土に生れて、一切衆生を濟へとなり。

開くべき胸のはちすのたぐひには
春まつ花の枝にこもれり變らじな濁るも澄むも法の水
一つ流れとくみて知りなば