すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


吾の松原(三重県四日市市)




四日市市に大層な万葉故地がある。
歌の作者は聖武天皇。
奈良の大仏を創建、大仏の開眼法要を行った。
律令制時代の天皇として絶大な権威を持ち、死後も偉大な聖王として民衆の崇敬を集めた。


そんな聖武天皇が東国への行幸の際に、この地に行宮を設けてお泊りになった。美しい松原を見ながら、遠く都に残してきた皇后を懐かしく思い、次の歌を詠んだ。


妹に恋ひ 吾の松原 見わたせば 潮干の潟に 鶴鳴き渡る 万葉集
(私訳)妻を恋しく思いながら松原から海辺を見渡せば、
潮が引いた干潟に鶴が鳴きながら飛び立ったよ
 


聖武天皇社の境内に歌碑





当時の行宮跡が現在では聖武天皇社という神社になり、隣接して松原公園が整備されている。


聖武天皇社の正面



松原公園


ちなみにここは松原町。


万葉史跡と聖武天皇社

 「続日本書紀」によると、聖武天皇は、奈良時代の天平12年(740)伊勢国を行幸になり、11月に一志郡河口をたち、鈴鹿郡赤坂頓所を経て、23日に朝明郡の頓宮に着かれたとある。
また、「万葉集」1030聖武天皇御歌に「妹に恋ひ 吾の松原みわたせば 潮干の潟に鶴鳴き渡る」とある。吾の松原については、安溝の松原であり、若松の松原であり、本市の県地区であるという説があるが、この地は現在も松原と称し、大樹のあった面影を残しており、この辺を中心とした極めて広い場所が吾の松原であったと推定されている。
 松原町のもと松原姓を名乗っていた旧家田村信二氏宅に伝わる話では、聖武天皇が行幸の際に松原を通られると一陣の風が吹き、天皇の笠が池に落ちたが、ちょうどその時、傍らに洗濯をしていた娘がその傘を拾って差し上げたため、これが縁となって天皇はこの田村家に宿ををとられたという。そして当時の天皇の形見の品が永く保存されていたが、火災で焼失したといわれている。
 聖武天皇社は、神社の名称やこのあたりに大きな樹木のあったことから考えて、この地を朝明頓宮の跡として、鎌倉時代の安貞元年(1227)に創建されたものであり、境内には昭和30年に郷土が生んだ歌人佐佐木信綱の筆の万葉の歌碑が建てられた。

            平成6年7月 四日市市教育委員会

        










昔はこの辺りまで海があったらしいです




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