すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


阿武の松原(福島県伊達市)




福島市の隣に「伊達市」という自治体があるのを初めて知った。

そんなことよりも、昔、阿武隈川のほとりに広大な松原があって、それは三保の松原(静岡県)や生きの松原(福岡県)に匹敵するような景勝地であったというのを、今回初めて知った




 かつて阿武隈川は箱崎地区を西から東に流れ、現在の箱崎原町地区は川の南岸で、東西に長い松原になっていたと言われる。江戸時代の後期、この地区の南に位置する「高子村」(現保原町)で儒学者・詩人としてこの地に多くの足跡を残した「熊坂三代(覇陵・台州・盤谷)によって「阿武の松原」が広く知られるようになったと言われる。

その昔、原町地区は景勝に富み「日本三松原」の一つとされ、遠く京の都にまでその名が聞こえた。平安時代後期、大治二年(1127年)の白河法皇による勅使 源俊頼選による「金葉和歌集」にも次のように詠まれている。

陸奥の思いしのぶにありながらこころにかかるあぶの松原
太宰大弐長実


伊達市教育委員会




阿武の松原碑。




阿武の松原の写真
上記説明板の写真

 この地区は摺上川との合流地点から近く、大正8年以降現在まで大雨の度に洪水を引き起こし、川の流れを変えていた。
 この松原も度重なる洪水で次第にその姿を失い、昭和に入り東端(碑の立つ地点)に残った一本の老松(写真)だけが長くその名残を留めていたが、昭和39年に枯死して全容を失った。






【現在の阿武の松原】


一面の田んぼであった。








なんと、このグーグルマップの「阿武の松原碑」のスポットは
私が登録し、写真とコメント(教育委員会)を投稿しました。


航空写真の地図では、阿武隈川の河道跡が田んぼの形から分かる。
大雨で氾濫する度、川の流れが変わり、そして松原が侵食されていったのだろう。






訪問データ
訪問地 阿武の松原碑
住所 福島県伊達市箱崎岩ノ下1
駐車場 -
WGS 37.813376, 140.526046






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