すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


明智(あけち)の原(岐阜県可児市)






いしかづら明智の原を行く駒は恋の身となるやつはしの身よ 平祐挙(夫木和歌抄)



この歌の意味がさっぱり分からない。
「いしかづら」の意味が分からないし、「恋の身」というワードがあるので恋歌かなと思うが、「やつはし」も何なのか分からない。


そこで、禁じ手の AI を頼ることにした。するととんでもない回答がなされた。インターネットの世界は素晴らしく進化しており、今回のケースをもって全然ダメだとか言う気は無いが、とても傑作な内容だったので転記する。
(2025年月、Google検索)


AI による概要

「いしかづら明智の原を行く駒は恋の身となるやつはしの身よ」は、辞世の句として知られる有名な言葉です。


(意味)
この句は、以下のように解釈できます。

「いしかづら明智の原」 : 織田信長の戦いが繰り広げられた場所、明智光秀が討たれた場所である「明智の原」を指します。

「行く駒」 : 戦場に向かう馬(駒)を指します。

「恋の身となる」 : 恋に落ちて、身を焦がれる状態になることを指します。

「やつはしの身よ」 : 「その馬は、死に向かう身だ」という意味です。

つまり、この句は、戦場に向かう馬(駒)は、恋に落ちるような感情的なものではなく、死に向かう運命にあることを示唆しています。


(背景)
この句は、織田信長と明智光秀の物語、特に明智光秀が織田信長を討つ前に詠んだとされる辞世の句として知られています。

関連する人物:
明智光秀:織田信長の家臣で、後に裏切りを起こし、織田信長を討つ。

織田信長:戦国時代の武将で、天下統一を夢見る。

この句は、戦を前にした覚悟、死生観などを表す辞世の句として、現在も語り継がれています。


AI の回答には間違いが含まれている場合があります。


















詠者の平祐挙は平安時代の貴族で、藤原道長の家臣である。美濃国の明智荘に藤原氏の荘園があったので、そのつながりでおそらく平祐挙も現地へ赴く機会があったのだろう。


平祐挙が歌を詠んだ「明智の原」は、戦国時代に土岐氏の流れを汲む武将、明智光秀の拠点となった。


現在も明智光秀の関連史跡が点在している。




■ 現地訪問


明智城跡に行きたかったが、山城なので山登りになるのでパス。
近くにある「明智光秀産湯の井戸跡」へ行った。



現地の案内板によると、戦後の土地改良により井戸跡はなくなったようだ。



案内板のある場所から川を越えた田んぼにあったとのこと。



土地改良前は、こんもりと茂みがあり、そこに井戸跡があった



川の向かいの田んぼ。



田んぼの背後の山に明智城があった。















あんまり歌の内容と明智光秀は関係がないようです。





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