すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
今回は失敗であった。 旅行四日目の最終日で、判断が鈍くなったためか、訪問前の事前の調査が不十分であったのか、その両方か。 結果から言うと、 阿古耶松ゆかりの萬松寺に行ったが、阿古耶姫、実方中将、中将姫の墓を見ず、また二代目らしい阿古耶松も見ずに帰ってきてしまった。 どうしてこんなことになったのか、よく分からない。 〜こんなかんじであった。 ![]() 萬松寺には、先ず接面道路から小さな橋を渡って入った。 ![]() そこに「名勝古蹟 千歳山萬松寺」の石碑があり、いやがうえにもテンションが高まった。 ![]() 境内に入ると蓮の池があり、写真をパチリ ![]() もう一枚 ![]() 本堂 ![]() 本堂の内部 阿古耶松のゆかりのモノがないな〜とは思いながら、けどあんまり有名な物語でもないので、こんな扱いを受けているのかな、と判断し、そのまま帰ってしまった。 ![]() 萬松寺の駐車場から山形県庁がすぐ前に見えて、市街地の横にあるんやな、と思ったりして、そのまま次の目的地に向かった。 家に帰って、インターネットを見てみると、本堂の裏に小路があって、その先に阿古耶松の関連の史跡があったようだ。 多分二度と行くことがないと思うので、残念でならない。 さて、阿古耶松ゆかりの物語は二編に分かれている。 物語すべてを書くと長いので、超簡単に記すと、 (第一部/阿古耶姫) ・信夫国領主の藤原豊充の娘は阿古耶姫といった。 ・阿古耶姫のもとに名取の若者が通ってきて、二人は恋仲になった。 ・ある時、若者は「自分は千歳山の古松の精である」と言い去っていった。 ・名取川の橋が洪水で流されたので、千歳山の古松を伐って橋を作ることになった。 ・阿古耶姫は悲しんで、千歳山の切り株の横に新しい松を植え、麓に庵を結んだ。(この庵が現在の萬松寺) (第二部/中将姫) ・実方中将は、天皇の前で同僚とケンカをして、天皇から「歌枕を見てまいれ」と陸奥国に流された。 ・実方中将は名所の阿古耶松を訪ねる途中、笠島の道祖神の前を下馬せずに通り過ぎたため、神の怒りを買って馬から落ちて死んだ。(宮城県/笠島の頁を参照ください) ・都に残っていた実方中将の娘、中将姫は悲しみのあまり、陸奥国までやってきて、実方中将が訪ねることができなかった阿古耶松に至り、そこで死んだ。 まあこんな具合で、古典ファンでなくても、昔話で一度は聞いたことのある内容だろう。 【ゆかりの歌】 |
消えし世の 跡問ふ松の 末かけて 名のみ千歳の 秋の月影 | 阿古耶姫 |
みちのくの 阿古耶の松に 木隠れて 出でたる月の 出でやらぬかな | 夫木和歌抄 |
みちのくの阿古耶の松を訪ねわび 身は朽ち人になるぞかなしき | 実方中将 |
出羽国のはずなのに「みちのくの〜」となっている。 これは陸奥国から出羽国が分かれてできたことによる。 もともと阿古耶松は陸奥国にあって、「みちのくの阿古耶松」というのが歌枕の世界の通り名であった。 江戸時代前半の沢庵上人は出羽国に流罪となったため、出羽国とつながりが深い。その沢庵上人の歌 |
思ひきや今宵の月をみちのくの 阿古耶の松の陰に見むとは | 沢庵 |
千歳山千代もとかけてめでたきは 阿古耶の松に木がくれの月 | 沢庵 |