すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


安養寺(あんにょうじ)(鳥取県米子市)





こんなエピソードのある「ゆかりの地」が大好きである。




元弘二年、後醍醐天皇が隠岐の島に流されることになった。
天皇の皇女である16歳の瓊子内親王は、お供をしたいと童女に変装して一行の中に紛れ込んでいたが、隠岐へ船で渡る際に見つかってしまい、同行を許されなかった。


内親王は、「京の都に戻るくらいなら、少しでも隠岐の島に近い、米子で過ごしたい」という気持ちから、この地に庵を結び、自らは出家して安養尼と名乗った。


余程この米子が気に入ったのか、別の理由なのか分からないが、天皇が京へ帰還されて建武の新政を興された後も、内親王はこの地に留まり、24年の短い生涯を送られた。


内親王と同母兄の尊良親王との歌のやりとりが、南朝方の勅撰集である新葉和歌集に収録されている。


いかでなほ我もうき世をそむきなん うらやましきは墨染の袖 中務卿尊良親王


返し
君は猶そむきなはてそとにかくに 定めなき世の定めなければ 瓊子内親王


境内に二首の歌碑




え〜と、世の中を悲嘆した尊良親王が、出家した瓊子内親王を羨んで、自分も出家したいという気持ちを詠んだところ、内親王から、激動の時代なので出家はしない方が良いと諭される内容。
尊良親王は後醍醐天皇の有力な後継者候補だったという。















■現地訪問




瓊子内親王、出家後の安養尼の結んだ庵は、現在は安養寺として残っている。


安養寺 ・・・ 鳥取県米子市福市724


正門は東であるが、地図を見間違えて西側の裏道から入ってしまった。



本堂



釣鐘



瓊子内親王の御陵



内親王なので、宮内庁の管轄であった。



由緒碑



後醍醐天皇社



菊のご紋が施されていた。












満足度の高い訪問でした






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