すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


嵐山(京都市右京区)




嵐山は、京都を代表する観光地で、この日も大勢の観光客が詰め掛けていた。






紅葉や桜のシーズンになると、もっとすごいのだろう。



嵐電の嵐山駅



こんなタリーズがあった。ここで休憩した。

嵐電の嵐山駅構内にて。


昔、嵐山ではタレントのショップの開業が相次いだことを覚えているが、あれらは今どうなっているのだろう?













観光案内板に、“正にこれこそ書きたかった内容”のものが記述されていたので、一部転記する。


史跡名勝 嵐山
(前略)
 嵐山の紅葉は、古くから王朝貴族に愛でられておりました。藤原道長(966〜1027)が大堰川に詩・和歌・管弦の三船を浮かべ風流韻事の催しを行った際、いずれにも通じた藤原公任は、遅れてやってきて三船のどの船に乗るか迷った末、和歌の船に乗り込んで、
朝まだき嵐の山の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき 藤原公任
と詠み喝采を博し、公任自身は他の船に乗れない事を嘆いたと伝えられています。この故事からどの道にも才能がある人のことを三船の才、または三舟(さんしゅう)の才というようになりました。
 嵐山が桜の名所としても知られるようになったのは、後嵯峨上皇(1220〜1272)が吉野山の桜を移し植えられてからのことです。
嵐山 これも吉野や 移すらん 桜にかかる 滝の白糸 後宇多天皇
 芭蕉もここを訪れており、
花の山 二丁上がれば 大悲閣 松尾芭蕉
の句を残しております。
(後略)


          林野庁 京都大阪森林管理事務所







藤原公任らが乗り込んだ三船は、この大堰川に浮かべた。



渡月橋と嵐山。

上記の後嵯峨上皇の和歌をモチーフにして能「嵐山」が作られた。











その他、お気に入りの和歌を紹介


春ふかみあらしの山のさくらばなさくと見しまに散りにけるかな 源実朝
吹きはらふもみぢの上の霧晴れて峰たしかなる嵐山かな 藤原定家
訪ふ人も今はあらしの山風に人まつ虫の声ぞ悲しき 詠人不知(拾遺集)



コメントとして、
 ・嵐山は春の桜も秋の紅葉にもマッチする。
 ・その名の通り、嵐が吹いて花や紅葉を散らすようだ。
 ・「有らじ」と掛けているものがある。
 ・「山」と「風」を並べて「嵐」にしている。













うちの娘を連れていったら喜びそうな土産物屋さんが並んでいました。






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