すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


有岡城趾(兵庫県伊丹市)





実はそれほどお城や城跡に興味がないのだが、戦国武将夫妻が滅亡の際に悲劇的な歌を詠み交わした歌碑が設置されているとの情報があり、駅からも近いので訪問した。



元々は南北朝時代に伊丹氏によって築造された伊丹城。伊丹氏は戦国時代に荒木村重によって滅ぼされた。城は有岡城に改称。

ドラマや時代小説では、黒田官兵衛が有岡城に幽閉される場面がよく登場する。


荒木村重はのちに謀反を起こし織田信長勢に攻められる。
そんな中、籠城する荒木村重と妻のだしが歌を詠み交わしている。


霜かれに残りて我は八重むくら なにはのうらのそこのみくつに あらきだし(信長公記)
霜枯れの冬に残る私は、幾重にも生い茂った雑草のようなもので、
難波の水底の屑になってしまうのだなぁ。(伊丹市文化財保存協会)

思いきやあまのかり橋ふみならし なにはの花の夢ならむとは 荒木村重(信長公記)
 果たして思ったであろうか。これまで自分のやって来たことは、
漁師が間に合わせの、仮橋を踏んで平らにするように、
同じところを何度も往ったり来たりしていたようなもので、
難波の花も結局は夢のまた夢であろうとは。(伊丹市文化財保存協会) 
 


有岡城趾に上記二首の歌碑












現地を訪問。
阪急電鉄伊丹駅すぐのところに有岡城趾はあった。
猪名川の河岸段丘を上手く利用して築城したとの説明があったが、天守台しか行かなかったので、全体がよく分からなかった。



伊丹駅から天守台を撮影。市民の公園になっている。




「史跡 有岡城跡」の石碑




旧天守台




昔の堀跡















有岡城趾に下のような歌碑があった。


春秋の花と月とをときならて 見はてぬ夢の暁はうし 伊丹之親
春の花と秋の月とを季節はずれに(時節にあわないままに)、最後まで
見終わらない。そんな夢からさめた暁は、何となくもの憂い感じです。
(伊丹市都市活力部まち資源室文化振興課HP)
  


















荒木村重はその後も長く生きましたが、嫁たちは信長に虐殺されました。






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