“此の海の〜”に変化していて、ことさらに越国と詠み込まなくても、「ありそ」だけで越中のことだと認められるようになっていた。
そんな堅苦しいことは置いといて、有磯の海を詠んだ歌の紹介 |
渋谷の崎のありそに寄する波いやしくしくに古へ思ほゆ |
大伴家持(万葉集) |
おろかにそ我は思ひし乎布の浦のありそのめぐり見れど飽かずけり |
田辺福麻呂(万葉集) |
ありそ海の浜の真砂と頼めしは忘るることの数にぞありける |
古今和歌集 |
我もおもふ人も忘るなありそ海うら吹く風のやむ時もなく |
均子内親王(後撰和歌集) |
わが恋はありその海の風をいたみ頻りに寄する浪の間もなし |
伊勢(新古今和歌集) |
人知れぬ思ひありその浦風に波の寄るこそ言はまほしけれ |
藤原俊忠(金葉和歌集) |
かくてのみありその浦の浜千鳥よそになきつつ恋ひや渡らむ |
拾遺和歌集 |
ありそ海の浦吹く風にあらねども止む時もなくものをこそ思へ |
慈鎮 |
これらの歌を見ていると、“風”の文字が頻出している。
富山湾特有の東風のことだろう。
江戸時代、松尾芭蕉は奥の細道の旅で、有磯海を見に行こうとしたが、だれも宿を貸してくれないだろうと地元民におどされて、訪問を断念している。
そのときの一句 |
写真集
雨晴海岸
松田江の長浜
宇奈比川河口
いろいろ書くことを考えてましたが、こんな感じで終わります。
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