すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


朝妻(滋賀県米原市)





木曾路名所図会「朝妻舩」

早稲田大学図書館

朝妻のイメージはこれ!


遊女と浅妻船と柳の木の組合わせ。
この構図でさまざまな画家が朝妻を描いたが、もっとも有名なのは英一蝶の「朝妻舟図」であろう。


Wikipedia

琵琶湖畔に浮かべた舟(浅妻船)で客を待つ、物悲しげな白拍子の佇まい。平家の都落ちにより身をやつした女房たちが朝妻の入り江で客を求めて舟を流したとのことである。
なお、英が絵に讃した小唄は

仇しあだ浪、よせてはかへる浪、朝妻船のあさましや、
ああまたの日は誰に契りをかはして色を、枕恥かし、
いつはりがちなるわがとこの山、よしそれとても世の中
一蝶「朝妻舟図」讃

実はこれは、小唄を装い、時の将軍徳川家綱と柳沢吉保の妻との情事を諷したもの。「とこの山」は近江の歌枕犬上郡鳥籠山の「床の山」と掛けたもの。この絵により一蝶は島流しの刑を受けている。


一般的には朝妻は米原の近くの琵琶湖に面した古い港のことであり、朝妻船とは朝妻から大津までの渡し舟のこと。東山道の一部になっていた。
古代から港町として大いに栄えたが、江戸時代に米原湊経由へルートが変わり、その後廃れていった。

現在では朝妻湊の跡地として公園が整備されている。(朝妻緑地)




【朝妻湊跡】


石碑の後ろはグランドゴルフ場になっている。



これも朝妻湊跡の石碑



港のようなものが整備されていたが、船はなかった。



14世紀の大地震で朝妻の集落は琵琶湖に沈んだという説もあり、今でも沖合の湖底からは土器や瓦が見つかるという。
これはこれで大いに興味があるところ。





西行の歌


おぼつかな伊吹おろしの風先に朝妻船は会ひやしぬらむ 西行(山家集)


朝妻緑地に歌碑













地名の響きって大切、
朝妻って言うだけでエピソード感ある






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