すさまじきもの ~歌枕探訪~


愛宕山(京都市右京区)




歌枕の現地訪問のようなホームページを作っているが、今まで山の歌枕にはほとんど登ったことがないような気がする。



山の歌枕といっても、いろんなタイプがある。



①その山は一般的に登る対象でなく、詠み手が遠くから眺めて、歌を詠むタイプ

(富士山、比良山、三上山、伊吹山、筆捨山、二村山、妹背山、三室山、岩橋山、葛城山、大和三山、小倉山、嵐山)

山容が秀麗なものや、その山に伝説があるものなど





②山の上に神社など信仰するものがあり、詠み手は山に登って歌を詠むタイプ。

(男山、比叡山、朝熊山、久能山、神倉山、笠置山)

信仰の対象





③山といっても実際は丘陵程度のもの。

(奈良山、末の松山、島熊山、相の山(伊勢)





④峠を指すもの。

(布引山(三重県)、真土山、小夜の中山、生駒山)





⑤山のネーミングが和歌に合うもの

(入佐山、人懐かしの山、人忘れずの山、待兼山、鹿背山)






もちろんこんなに単純に分類できるものでなく、実際は詠み手の立場や時代によって変わってくるし、それぞれ複合したものとなっている。













さて今回のテーマは「愛宕山」


WIKIPEDIAによると
 愛宕山(あたごやま、あたごさん)は、京都府京都市右京区の北西部、山城国と丹波国の国境にある山である。京都市街を取り巻く山の中で、比叡山と並びよく目立っており、信仰の山としても知られる。
(愛宕山(京都市)


頂上が尖がっていて、京都市内からも目立つ山である。


嵐山の渡月橋から愛宕山を望む。
愛宕山は一番奥の頂上が尖っている山。
手前左のこんもりとした山は小倉山。


  
上の写真を拡大したもの。
たしかに特徴的な形をしている。








この愛宕山は昔から山岳仏教の拠点となっていたらしく、源氏物語でも「あたごの聖」が登場する。(東屋)
都名所図会「愛宕山」には頂上付近に仏教施設が密集している様子が描かれている。

国際日本文化研究センター


現在では頂上付近に愛宕神社が鎮座、全国の愛宕神社の総本山。多くの参詣客を集めている。ただし麓から往復5時間ぐらいかかるようだ。















【愛宕山を詠んだ歌の紹介】


なき名のみたかをの山といひたつる君はあたごの峯にやあるらん 八条大君(拾遺和歌集)
あらぬ噂ばかり高く言い立てなさるあなたは、私にとって仇にあたる人
なのでしょうか(歌枕歌ことば辞典)


噂が「高い」の「高尾山」、私にとっての「仇」で「愛宕山」と、隣りの山を掛け合っている。



この歌を本歌として次の歌が詠まれた。

なる神の音は高雄の山ながらあたごの峰にかかる夕立 後土御門天皇(紅塵灰集)



また、愛宕山の西の山腹の原である「樒原」と合わせて詠まれることも多い。


愛宕山しきみの原に雪つもり花つむ人の跡だにぞなき 曾禰好忠


時雨れつつ日数ふれどもあたご山樒が原の色はかはらず 源顕仲(堀川百首)


あたご山まだ降る雪も消えなくに樒が原に霞たなびく 江帥集





 






え~と、愛宕山と言えば、明智光秀の愛宕百韻だろう。

本能寺の変の直前に、明智光秀が愛宕山で開催した句会。

(発句)ときは今 あめが下しる 五月かな 明智光秀

(脇句)水上まさる 庭の夏山 威徳院行祐

(三句)花落つる 池の流を せきとめて 里村紹巴


「とき」は明智光秀の「土岐氏」と掛けている。
「雨が下」は「天が下」と掛けて、天下取りを暗示している。

句会の参加者も、まさか直後に明智光秀が本能寺の変を起こすとは知らなかったのだろう。
連歌師の里村紹巴は、このあとに厳しい取り調べを受けている。











遠くから愛宕山を眺めただけなので、それほど感慨ありません。





copyright(C)2012 ゆかりの地☆探訪 ~すさまじきもの~ all rights reserved.