すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
福島県と宮城県の県境にある山。 麓の峠に、昔は奥州街道、今は東北自動車道やJR東北本線、国道4号線が通っており、まさに交通の要所である。 ここは鎌倉時代初期の奥州合戦最大の激戦地。 源頼朝が奥州方面に攻め込み、奥州藤原氏がこの地に陣を構えて迎え撃った。 この戦いを「阿津賀志山の戦い」という。 結果は奥州藤原氏の大敗で、その後、源頼朝に征伐されてしまった。 古典文学的には見るべきものがない。 阿津賀志山を詠んだ歌は見当たらないが、麓の奥州街道の峠は古来「下紐の関」として歌枕となっている。(「下紐の関」のページをご参照ください) ただ、「義経記」の中に源義経の奥州下りのところで素晴らしい紀行文があり、そのなかに阿津賀志山が登場する。 |
安達の野辺を見て過ぎ、浅香の沼の菖蒲草、影さへ見ゆる浅香山、着つつ馴れにし忍ぶの里の摺衣、など申しける名所名所を見給ひて、伊達の郡阿津賀志の中山越え給ひて、まだ曙の事なるに、道行き通るを聞き給ひて、いさ追ひ著いて物問はん。此の山は当国の名山にて有るなるにとて、追つ着いて見給へば、御先に立ちたる吉次にてぞ有りける。 | 義経記 |
奥州の金売吉次が鞍馬にいた義経を連れ出し、商人を装いながら奥州へ下る場面。上野の国まできたところで、義経が吉次といったん別れて行動し、その後、阿津賀志山を越えたあたりで吉次に追いついた。 ここでは阿津賀志山は「当国の名山」だとされている。 義経一行の歌枕巡りはまだまだ続く |
かくて夜を日についで下り給ふ程に武隈の松、阿武隈と申す名所名所過ぎて宮城野の原、躑躅の岡を眺めて、千賀の塩竃へ詣でし給ふ。あたりの松、籬の島を見て、見仏上人の旧蹟松島を拝ませ給ひて、紫の大明神の御前にて祈誓申させ給ひて、姉歯の松を見て、栗原にも着き給ふ。吉次は栗原の別当の坊に入れ奉りて、我が身は平泉へぞ下りける。 | 義経記 |
この時に義経が訪ねた歌枕は、 安達の野辺 浅香の沼の菖蒲草 浅香山 忍ぶの里の摺衣 阿津賀志山 武隈の松 阿武隈 宮城野の原 躑躅岡 千賀の塩竃(塩竃神社) 籬の島 松島 紫の大明神(紫神社) 姉歯の松 栗原 これはこれは、さぞかし楽しかっただろう。 阿津賀志山の写真 ![]() 現在では「厚樫山」と書く。標高289メートル。 ![]() これは素晴らしい! 「当国の名山」と評されるだけのものがある。 ![]() これは奥州藤原氏が防衛のために築いた防塁跡。 ![]() 阿津賀志山と阿津賀志山防塁 ![]() 土塁の跡が残っている。こんな堀が阿武隈川まで続いていたらしい。 ![]() 防塁から福島市方面を望む。 奥州の兵士たちは、この眺めの中で南からやってきた鎌倉軍を迎えたのだろう。<感動> |