すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


備中高松城(岡山市北区)





浮世をば今こそ渡れ武士の名を高松の苔に残して 清水宗治


備中高松城 本丸跡に歌碑

これは備中高松城の城主であった清水宗治の辞世である。

中国の役で、備中高松城を水攻めしていた豊臣秀吉は、本能寺の変で織田信長が殺されたことを知り、急遽毛利との講和を結ぶ。条件は、城主清水宗治の切腹。

水攻めによって満々と水を湛えるようになった高松城外へ小舟で繰り出した清水宗治は、秀吉から送られた酒と肴で宴をし、謡曲「誓願寺」を舞ったあと、両軍が見守る中で切腹。

※ 謡曲「誓願寺」は、和泉式部が登場し荘厳優美な舞を舞ったりする、芸道上達祈願のイメージがあったが、実は、汚れた人生を送ってきた人、人を殺してきた武士でさえ、阿弥陀仏の功徳に救済されるという一遍上人の説話がメインのストーリーであった。さもありなん。







2020年6月、岡山方面へ旅に出た。
数ある目的地のうち、最も興味深かったのがここ備中高松城跡。
やはり水攻めの地形的な興味が尽きない。


旗がはためいていて、かなりの枚数の写真を撮ったうちのベストショット。



城郭部分の外は湿地帯になっていて、蓮池になっていた。



蓮の花が咲くのは夏やったかな?



本丸跡。歌碑や胸像やいろんなモノが並んでいた。



これも



これは清水宗治の首塚











その後、水攻めの築堤跡を訪問


「高松城水攻め史跡公園」、蛙ヶ鼻の築堤跡。
うしろに築堤の断面が見える。



築堤は2メートルの高さで、距離は3キロに及んだとされる。



蛙ヶ鼻築堤跡から高松城方面を望む。



現地案内板
















コロナ禍で、資料館は休館でした。






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