すさまじきもの ~歌枕探訪~


大山(鳥取県大山町)









『暗夜行路』
志賀直哉の唯一の長編小説で、大岡昇平は「近代文学の最高峰」だと賞している。
内容は、父親との不和や妻の不義に苦しむ主人公は、心の葛藤から旅に出るが、最後は大山の夜明けの光景を見て心の平和を見つけるというストーリー。

志賀直哉は何度も執筆を断念し、なんと執筆開始から完結まで26年を要することになったという作品。

え~と、実は私も学生時代に一度読み始めたものの、退屈なストーリーに飽きてしまい、途中で読むのを挫折。52歳で鳥取へ旅行することになり、あわてて再度読み直し、なんとか読了したもの。
読み終えるまで、およそ30年の歳月がかかった。

書く側も読む側も、それなりに忍耐の必要な作品なのだろう。


さて、主人公は夜中、大山の宿坊から山頂を目指して登り始めるが、途中で体調を壊し、諦めて休んでいたところ、夜明けを迎えた。その主人公が大山から眺めた夜明けの島根半島を描写した場面は『日本文学史上白眉」とされている。


これがその場面
「中の海の彼方(むこう)から海へ突出(つきだ)した連山の頂が色づくと、美保の関の白い燈台も()を受け、はっきりと浮び出した。間もなく、中の海の大根島(だいこんじま)にも陽が当り、それが赤鱏(あかえい)を伏せたように平たく、大きく見えた。村々の電燈は消え、その代りに白い(けむり)が所々に見え始めた。然し麓の村は未だ山の陰で、遠い所より(かえ)って暗く、沈んでいた。謙作は不図、今見ている景色に、自分のいるこの大山(だいせん)がはっきりと影を映している事に気がついた。影の輪郭が中の海から陸へ上って来ると、米子の町が急に明るく見えだしたので初めて気付いたが、それは停止することなく、恰度(ちょうど)地引網のように手繰(たぐ)られて来た。地を()めて過ぎる雲の影にも似ていた。中国一の高山で、輪郭に張切った強い線を持つこの山の影を、その儘、平地に眺められるのを稀有の事とし、それから謙作は或る感動を受けた。」 

たしかに素晴らしいが、近代文学がスタートして間もない大正時代では『日本文学史上白眉』だったろうが、現在の小説家たちの力量を考えれば、『白眉』は言い過ぎかな。


その大山から眺めた光景をGoogleEarthで再現!
島根半島や中海の大根島が眼下に見える。



志賀直哉は、大山からの光景を数十年前に訪問した時の記憶だけで書いたといわれるが、現在のようにGoogleEarthがあればもっとすごい描写になっていたことだろう。









と、このページをここまで書いてきたが、私の鳥取旅行では結局大山に訪問しなかった。当初は、山腹の宿坊エリアに行く予定で、下調べをしていたが時間が無くなった。残念だが、多分また行く機会があるような気がする。


と言って、大山を撮った写真もイマイチなものとなった。










ずっと山頂に雲がかかっていた。




翌日、美保関から眺める。さらに雲の量が多くなっていた。



現地にあった案内板。大山と朝日の写真。






大山を詠んだ歌



「智縁上人、伯耆の大山にまいりて、出でなんとしけるあか月、夢に見えける歌」
山深く年経るわれもあるものをいづちか月のいでて行くらむ 新古今和歌集



大山は雲の上にて海原に沈み果てたる日に照れるかな 山下陸奥
穂にいづる麦の野の上にゆつたりと牛の臥(ね)ざまの伯耆大山 太田水穂
大山寺笹のいく葉の隠岐見えて伯耆の海のうつくしきかな 与謝野晶子











六十余州名所図会、伯耆国、「大野 大山遠望」

(Wikipedia)




見事な火山麓扇状地が形成されている






暗夜行路、今回はスムーズに読めました。






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