すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
大宰府(福岡県太宰府市)
え〜と、大宰府は歌枕ではないけれど、大宰府に関連して多くの歌が詠まれている。 いろいろと書くことがあるのだが、どのようにまとめたら良いのか分からないので、取り敢えず、三省堂の大辞林から転載
2019年の夏、現地を訪問した。 ■先ずは太宰府天満宮。 菅原道真を祀っている。 西鉄太宰府駅から参道が続く。 この大鳥居は伊藤伝右衛門が奉納したもの。 伊藤伝右衛門とは明治時代の炭坑王で、歌人柳原白蓮の元夫。 表参道の入り口 雨が降っていたが、傘を忘れたため、走って回って大変だった。 人々の向こうに御神牛像がある。 頭を撫でると知恵が授かるらしい。 これも菅原道真に由縁があるとのこと。 人々は牛を撫でる順番を待っている。 太鼓橋(反橋)があった。
菖蒲池 花が咲くのはどの季節なのかな?
菖蒲池の中に句碑 楼門を過ぎると本殿が見えてきた。 楼門と絵馬掛所。 受験シーズンになると、大量の絵馬が奉納されることだろう。 そして本殿の傍らにあるのが飛梅。 大宰府に流された菅原道真を追って、京都から梅が飛んできたという伝説による。 飛梅単独写真 |
菅原道真 |
飛梅の香をなつかしみ立ち寄りて昔しのべば花のさゆらぐ | 西高辻信稚 |
魁けて雪の飛梅初明り | 河野静雲 |
太宰府天満宮には、今でも全国各地から梅が献じられているらしい。 境内の裏手には膨大な梅の木が植えられているとか。 献梅碑なるものがあった。 碑面には献梅の歌が刻まれていた。 |
まほろばに人の業にて 一歩づつ 植ゑて弥栄連なる梅 | 献梅碑 |
誰が詠んだ歌なのか分からない。 徳富蘇峰の漢詩碑 |
儒門出大器 抜擢躋台司 感激恩過厚 不顧身安危 一朝罹讒構 呑冤謫西涯 傷時仰蒼碧 愛君向日葵 祠堂遍天下 純忠百世師 |
徳富蘇峰 |
徳富蘇峰は明治大正昭和の言論人。 徳富蘇峰は菅原道真の末裔だと家に伝わっていたようで、「菅原蘇峰」と署名している。 徳富蘇峰92歳の時のもの。 松尾芭蕉の句碑 |
梅か香にのつと日の出る山路かな | 松尾芭蕉 |
松尾芭蕉が大宰府に来ていたとは、初めて知った。 ■そして大宰府政庁跡へ訪問 なにもない広大な敷地であった。 後ろの山は大野山。万葉集に詠まれている。 人と比べてみるとよく分かるが、巨大な石があった。 礎石のある場所に建物が建っていたようだ。 感想として、 感動したかと言えば感動したし、それほどでもないと言えばそうだし、建物の跡地というのは難しい。 と、そんなことを考えながら歩いていたら、「古都大宰府保存への道」の案内板があった。 昭和30年代に住宅開発されそうになったり、保存に関して住民からの慎重な意見があったりして、大変な苦労の末に今日の整備された大宰府政庁跡があるとのこと。 案内板の写真を接写 これも 大宰府政庁関連の歌 |
やすみしし我が大君の食す国は大和もここも同じとぞ思ふ | 大伴旅人(万葉集) | |
私がお仕えする大君が、安らかにお治めになる国は、中央の大和も ここ大宰府も同じ、異なることはないと思っている。(現地案内板より) |
大君の遠の朝廷とあり通ふ |
柿本人麻呂(万葉集) |
世の中は空しきものと知る時しいよよますますかなしかりけり | 大伴旅人(万葉集) | |
世の中はむなしいものだとつくづく知るとき、いよいよますます 悲哀の感を新たにすることだ。(現地案内板より) |
大伴旅人は大宰府赴任に一緒に連れてきた妻を現地ですぐに亡くした。その時の悲しみの歌。 さて、平安時代末期、平家は都落ちして大宰府を拠点とした。 大宰府で観月の宴を開いたのだが、昨年までは都でにぎやかに開催していたことを懐かしむ。 |
月を見し去年の今宵の友のみや都に我を思ひ出づらむ | 平忠度 |
恋しとよ去年の今宵の終夜月みる友の思ひ出られて | 平経盛 |
分きて来し野辺の露とも消えずして思はぬ里の月を見るか | 平経正 |
住みなれしふるき都の恋しさは神も昔におもひしるらむ | 平重衡 |