すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


荏原(岡山県矢掛町)







岡山県矢掛町の荏原は、戦国武将 北条早雲の生誕の地として売り出し中。

従来、北条早雲は室町時代末期に一介の浪人から下克上で戦国の世を切り拓き、ついに相模国を平定するに至った英雄として知られていた。ところが近年の歴史研究により、北条早雲は室町幕府の政所執事を務めた伊勢氏に出自があり、伊勢氏所領の備中国荏原荘で生まれたことが確定的となっている。

このため井原鉄道の駅名も「早雲の里 荏原駅」であり、北条早雲は当地のヒーローであった。



「早雲の里 荏原駅」、閑散としていたが、近くに車両基地があるため、当駅始発の列車もある



「戦国の武将 北条早雲 生誕の地 荏原へようこそ」の横断幕



北条早雲石像



史跡として整備されていた
戦国マニアが泣いて喜びそうな場所であった



北条早雲の家紋が駅の柵にあった



「早雲まつり」があるらしい


観光案内があった




北条早雲の歌


梓弓おして誓ひを違へずは祈る三島の神も受くらん 北条早雲


伊豆の三島大社に願掛けした歌である















さて井原鉄道の駅名からこのような展開になったが、このページの主役は「とはずがたり」である。

「とはずがたり」は鎌倉時代に後深草院に後宮として仕えた「二条」の日記で、二条は三十歳で出家し関東を遍歴し、四十代で西国への旅に出立し、 厳島詣でを行っている。

二条は厳島からの帰途に和知氏の館に逗留し広沢入道の世話になった。

春になって都へ帰る途上、荏原の里で桜が見事に咲いていたので、二条は一枝を折って広沢入道に歌とともに届けた。


これより備中荏原といふ所へまかりたれば、盛りと見ゆる桜あり
一枝折りて送りの者につけて、広沢の入道につかはし侍りし


霞こそ立ちへだつとも桜花 風のつてには思ひおこせよ 後深草院二条(とはずがたり)


すると広沢入道は二日もかかる道のりを人と使わして返歌を二条に届けた。


二日の道を、わざと人して返したり

花のみか忘るる間なき言の葉を 心は行きて語らざりけり 広沢入道(とはずがたり)





この場面は「とわずがたり」の中でも好きなエピソードであるが、こうやって書いてみると、何が何だかよく分らない、地味な内容になっている。


とにかく荏原の里に咲いていた桜が見事だったので、二条は一枝を折って歌とともに広沢入道に送ったところ、遠い道のりなのに返歌を送ってきたということ。














駅前に桜はありませんでした





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