すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


越中井(大阪市中央区)






細川ガラシャ 辞世

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 細川ガラシャ


越中井に歌碑


細川ガラシャは、明智光秀の三女として生まれ、織田信長の命令により細川忠興に正室として嫁いだ。

ただし明智光秀の本能寺の変により、裏切り者の娘となったので、細川忠興はガラシャを丹後に幽閉したものの、のちに許されて豊臣秀吉の大坂城下の細川屋敷に住むこととなった。

そして当時大坂に滞在していたイエズス会の修道士から洗礼を受けて、カトリックに改宗した。ガラシャという洗礼名を受ける。

慶長5年(1600年)、細川忠興は徳川家康に従って会津征伐に出征したところ、大阪城に居残っていた石田三成が決起し、細川屋敷を取り囲んでガラシャを人質に取ろうとした。

ガラシャは拒絶し、キリスト教は自害を認めていなかったため、家臣に介錯させたもの。家臣はその後屋敷に火を付けている。

細川屋敷には越中井という井戸があった。細川忠興が越中守だったことに因んでいる。







大阪市中央区に越中井が史跡として整備されているので、現地を訪問した。



細川屋敷は大坂城の三の丸にあったので、現在も大阪城からほど近い玉造にある。
最近まで、越中町という町名であった。



これが越中井。
昭和34年復元。



越中井があるため、道路は避けて通っている。



道路の向こうに「細川越中守忠興屋敷趾」の石碑があった。



前にある公園は「越中公園」



近くにあるカトリック玉造教会に、キリシタン大名の高山右近の石像がある。細川ガラシャの石像もあるらしい。



(細川ガラシャの石像)






















細川ガラシャって、外人の妻かと思ってました。






copyright(C)2012 すさまじきもの〜「歌枕」ゆかりの地☆探訪〜 all rights reserved.