すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


得名津(えなつ)(大阪市住吉区)




住吉得名津に立ちて見わたせば武庫の泊りゆ出づる船人 高市黒人(万葉集)


意味は、住吉の得名津に立って見渡すと、武庫の港から漕ぎ出す船人が見えたということ。武庫とは、兵庫県の武庫川の辺りで、住吉からは大阪湾の「向こう」に位置することから付いた地名とか。とは言え、実際には住吉から武庫までは相当な距離(約20km)があり、船はともかく人が見えたとは思えないが、スケールの大きい、壮観な眺めを詠んだ、お気に入りの万葉歌である。


ところが、住吉に関連する歌枕は相当な数がある中で、得名津についてはいろいろと探してみたが全く資料がなく、最後まで分からないまま自分的には諦めていた。


そのような中、このホームページをご覧になった方から、得名津についての情報をメールでいただいた。
それによると、住吉区遠里小野に得名津寺の遺跡があるとのこと。その遺跡では楼閣などの高見見物の構築物も確認されていて、そしてその辺りの標高は11メートルもあるとのこと。
いただいた情報を整理すると、
・遺跡は大阪府住宅供給公社のOPH杉本町の建替え工事で発見。
・昭和21年の戦後焼野原の国土地理院の航空写真では更地。高度成長期に低層の公営住宅が建ち、平成になって高層に建替えたときに地面を深く掘ったために発見できた。
・住吉大社の神代記では「朴津水門」と記されている。
・「得名津」は時代によって江名津、朴津、榎津とバラバラの表記
・朴はホウノキでモクレン科、榎はケヤキの仲間
・大阪市教育委員会の史跡プレートが掲げられている。




自宅からも近いので、メールをいただいてすぐに訪問したかったが、なかなかチャンスがなく延び延びになっていた。

そしてようやく訪問したのは、平成から令和に改元された2019年5月1日。
高校同級生の飲み会が19時から新今宮で開催されるので、その前に立ち寄ることにした。




JR杉本町駅に着いたのが18時ちょうど。

5月1日なので、18時と言えどもまだ明るかった。



日没が迫っていたので早足で目的地に向かった。



行き止まり、袋小路があって時間をロスした。



目的地のOPH杉本町へ抜ける道を探していて、たどり着いたのがここ。



なんか変な空間があった。



ふとマンションの壁を見ると、プレートがあった。



大阪市教育委員会の史跡プレートがあった。
得名津発見!



この建物はOPH杉本町。



マンションの裏は大和側に面していた。



そして、これが得名津から武庫(方面)を撮った感動の写真!
むこうに、六甲山が見える。その間に大阪湾があるのだが、マンションの上層階からは見えるのだろうか。
この時点で18時15分。まだまだ明るかった。



ふと大和川の対岸を見ると、浅香山の浄水場でツツジ祭が開催されていた。



歩いて南海高野線の我孫子前駅へ。18時35分。



新今宮で降りて飲み会へ向かった。19時になっていた。もうすっかり日が暮れていた。



目的地のエノキ屋酒店



立ち飲みで、この日は22時30分まで、よく飲んだ。















貴重な情報、本当にありがとうございました。






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