すさまじきもの 〜歌枕探訪〜



二つ井(大阪市中央区)





摂津名所図会ネタ



二つ井
道頓堀の東、堀留町にあり
清泉にしてこの辺りの民家の用水とす



現在の道頓堀東1丁目の辺りにあった井戸。
二つ並べた井戸は珍しかったようだ。



摂津名所図会「二井」 早稲田大学図書館



二つ井の拡大図






千日前の国立文楽劇場の前に史跡として整備されている。 



本物の85%の大きさで再現したらしい。


案内板から転記


旧跡二つ井戸

二つ井戸は当初、道頓堀の東、堀止めに江戸時代1634年ころからありました。二つ並んで掘られた井戸は珍しく、寛政8年(1794年)の「摂津名所絵図」には名所の一つに選ばれ、「清泉にして此の辺り民家の用水とす」と記載されています。当時この辺りは高津五右衛門町と呼ばれ銭屋があり、寛永通宝など幾多の貨幣が二つ井戸の水で鋳造されました、井戸が明治時代の都市計画の道路拡張で撤去されるのを惜しんだ、西側(現在の道頓堀1丁目東3-23)にあった粟おこし屋「津の清」の当主が払い下げを受け店頭に移設しました、その後井戸に因んで、町名も二つ井戸町へと改名されました、その井戸は大阪を愛した作家織田作之助の代表作「夫婦善哉」にもたびたび登場します、移設時堀削された井戸の水は大正12年、少し南方の日本橋3丁目に松坂屋大阪支店が建設されて以来水が出なくなってしまいました、先の第二次世界大戦時、昭和20年の空襲の戦火で御影石の井戸枠はぼろぼろになり修復不可能となりました。その後昭和27年に西方の清津橋のたもと(江戸時代に店があった場所)へ移転した「津の清」の店頭に復元されました、三度も場所を変えた二つ井戸は、その後も町の人に愛されながらも平成12年に姿を消しました。この度、銘板と標柱が見つかったのを期に由緒ある井戸を後世に伝えようと、この地に再移築し復元いたしました。

2012年4月

高津地区まちづくり推進委員会 会長 日根野谷 義之




国立文楽劇場





さて、江戸時代の大阪の地誌の一つ、「摂津名所図会大成」(暁鐘成)には次のような歌が載っている。
(「摂津名所図会」は挿図のみ)


つつ井筒いづつ双つならべこし所の名にしおひにけらしな 鶏成


歌の方は大したことのない内容で、まあこんなもんだろう。












25年ぐらい前に、国立文楽劇場の横にタイ料理店があり、
よく食べに行きました。






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