すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


(はぎ)(山口県萩市)






同じき国長門小畑と云湊に、唐船の著て有よしを船人のうちに
語りければ、さらば見物せむとて、遙に舟をよせて、しばし留めて

われもまた浦づたひして漕ぎとめぬ唐船(もろこしぶね)の寄りし湊に 細川幽斎(九州道の記)



細川幽斎の「九州道の記」は、九州遠征中の豊臣秀吉の陣中見舞いのため、九州へ向かう船旅の道中記。


この歌は、萩の小畑浦に朝鮮の貿易船が碇泊していると聞き、船を寄せて見物した時に詠んだもの。


細川幽斎は戦国武将でありながら、二条流の古今伝授を相伝された歌学の権威であった。


この歌には典拠がある、それは伊勢物語の二十六段、
思ほえず袖にみなとのさわぐかな もろこし船のよりしばかりに


伊勢物語の中でもマイナーな章段であるが、朝鮮の船からすぐに伊勢物語の歌を想到できるというのは、さすが細川幽斎は当代一流の歌人である。相当な古典の知識があったのだろう。



まあ、日本の戦国時代に朝鮮から貿易船が萩の港に来航していたということも驚きである。



















2023年夏、萩の松陰神社へ参拝


30年以上前、大学受験に合格したとき、一年間勉強した鬱憤を晴らすために、旅に出た。大阪から山陰本線の夜行列車を利用して萩を目指した。たしか、萩でレンタサイクルを借りて城下町を観光したような記憶がある。その時に松陰神社にも行ったはずだ。


松陰神社、社頭の鳥居



本殿
明治40年創建、現社殿は昭和30年に竣工



松下村塾



松下村塾
この建物は移築ではなく、当時からこの位置に建っていたとのこと



ここで松陰による講義が行われていた



塾生の写真



拡大写真



これは松陰の生家で杉家の旧宅
ここで安政の大獄後に松陰は幽閉されていた



これも松陰の生家
この建物も当時からここに建っていた






吉田松陰に関連する歌


に来てふとおもへらく いまの世を 救はむと起つ松陰は誰 吉井勇


この花の松陰を生み志士を生む 伊藤柏翠









萩関連の歌


三百年のの花 一たび揺れて血の勝利 児玉花外
児玉花外は明治時代の詩人









松陰が両親に送った辞世の歌碑があった


親思う心にまさる親心 今日のおとずれ なんと聞くらん 吉田松陰


松陰神社に歌碑



















時間が無かったため、急いで回りました
宝物館に行きたかったです







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