すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


箱根(神奈川県箱根町)








2016年に京都三条大橋から出発した東海道歩き旅。
無理をせず、一日に歩く距離を20キロ程度に抑えて、持続可能な計画をもって順調に東海道を東京に向かって歩いていた。
ところが2020年2月に静岡県沼津に至ってから、長らくストップしていた。
箱根山を越える区間のため体力的に自信がなかったため。
東海道の箱根越えの最高地点の標高は850メートル。
ほぼ海抜0メートルの沼津から歩いて上る難行程に躊躇して幾年月。
先ずは体力を付けてからと考えているうちに気がつくと2025年になっていた。
年齢は56歳になり、これ以上遅らせると年齢的に厳しいと思った。
そんな中、正月に箱根マラソン(復路)を見ていて、急遽箱根行きを決心した。







夜行バスが沼津駅に着いたのは1月10日の早朝のこと。
正月3日に決意したものの寝正月は継続され、6日仕事始めの日からウォーキングのトレーニングを始めたが、全くの準備不足のまま東海道歩きがスタートしてしまった。



(箱根越え一日目)

朝5時40分に沼津駅に到着
気温はマイナス2度



三島を過ぎた辺りから
この日、日本海側は冬型の天気で大雪警報が出ていたが、太平洋側は晴天だった



松並木の東海道



錦田一里塚



素晴らしい!



ずっと坂が続いていた



こんな富士山を見ながら歩いたので気持ちよかった



富士見平から



水平に歩くときに使う足の筋肉と、登る時に使う足の筋肉の場所が違うことがよく分った。



峠の茶屋に到着



昼ご飯は名物のホルモン定食、おいしかった。また来たいと思った

一日目はここまで。バスに乗って三島に戻ってビジネスホテル宿泊









(箱根越え二日目)

朝、三島からバスに乗って峠の茶屋まで上ってきた



箱根エコパーキング。箱根関連の文学碑が集められていた


当初、納得いかなかったのが、旧東海道を歩いていたら箱根の関所があって、入場料450円を払ったこと。
こっちは道を歩いているだけなのに、勝手に関所を設けて通行税を取るとはと得心が行かなかったが、昔の関所が再現されていて、資料館もあって見応え十分だったので、これなら現代版の関銭で仕方ないと思うようになった。

西側の京都口御門、改修中



これが関所の再現



後ろに鉄砲が置かれていて、旅人を怯ませるらしい



「人見女」が女の旅人を調べているところを再現
「改め婆」と呼ばれていた



資料館、とても良かった



東側、江戸口御門



二日目も富士山がきれいに見えた



右手に箱根神社の鳥居が見える



「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」の歌碑
江戸時代の箱根馬子たちが歌っていた




二日目は峠からの下り道だった。足をすべらすと大変なので、ものすごく集中しなければならなく、また膝に衝撃が伝わるので、足のダメージは上り以上に大きかった。




東海道沿いの温泉「弥坂湯」に入った


この日、小田原まで歩いてビジネスホテルに投宿した




(今回の行程)
一日目 沼津 − 峠茶屋 19q
二日目 峠茶屋 − 小田原 20q
三日目 小田原 − 平塚 20q







浮世絵 / 東海道五十三次(保永堂版) 「箱根」

Wikipedia





浮世絵 / 東海道五十三次(隷書版) 「箱根」

Wikipedia










■箱根を詠んだ歌 


箱根の「箱」から、『ふた』『(中)()』『あける』『入れる』などの縁語を用いている。「箱」に掛かる枕詞は『玉匣(たまくしげ)』。


足柄箱根の山粟蒔(あわま)きて実とは成れるを粟無くもあやし 万葉集
足柄箱根飛び越え行く鶴の(とも)しき見れば大和し思ほゆ 万葉集
足柄箱根の()ろのにこ草の花つ妻なれや紐解かず寝む 万葉集
足柄の御坂につかん玉匣(たまくしげ)箱根の山あけんあしたに 柿本人丸


ふたつなき心にいれはこね山祈る我が身をむなしがらすな 相模集
ふた心ない私をお心にとめてくださって、箱根山の 向こうの権現様に
お祈りする我が身を、どうぞ空し い思いにさせない
(神奈川県立図書館のHP) 


あけくれの心にかけて箱根山(ふたとせ)(とせ)いでぞたちぬる 相模集


あけぬまに箱根の山郭公(ほととぎす)(ふた)声とだに鳴き渡るらむ 行平家歌合


照射(ともし)して箱根の山明けにけりふたよりより逢ふとせしまに 橘俊綱(千載和歌集)


玉くしげ箱根の山をいそげどもなほあけがたき横雲の空 阿仏尼(十六夜日記)


箱根路をわが越えくれば伊豆の海沖の小島に波のよるみゆ 源実朝(金槐和歌集)


箱根エコパーキングに歌碑



玉くしげはこねの山の峰ふかく水海はれてすめる月かげ 慶融(夫木和歌抄)


我がすえの代々に忘るな足柄箱根の雪をわけし心を 義良親王
後醍醐天皇の第七皇子


玉しゐを返す道なき箱根山残る形見の煙だに憂し 三条西実隆
箱根山から旅立った魂をもう戻すことはできない。この形見の香が
煙になってしまうのは悲しいことだ(新日本古典文学大系51) 


久方の天つみ宝納むとか箱根の山は作りけらしも 賀茂真淵


箱根こす人もあるらし今朝の雪 松尾芭蕉(笈の小文)


箱根山越すとき汗の出でやせん君を思ひてふき清めてん 吉田松陰


はこね山のぼるみ坂の石かどの一つひとつに苦しかりけり 佐佐木弘綱


箱根山 駕籠に乗る人担ぐ人 そのまた草鞋を作る人 ことわざ











元箱根、箱根神社の一の鳥居の傍らに多くの石像や石塔が並んでいる。ここが箱根の「賽の河原」であり、東海道中膝栗毛で弥次郎兵衛が詠んでいる。


辻堂はさすがに賽のかはら屋根 されども鬼は見えぬ極楽 東海道中膝栗毛
お茶漬けの賽のかはらの辻堂に 煮しめたような形の坊さま 東海道中膝栗毛


昔は街道の辻に瓦屋根の地蔵堂があったようだが、今はない。


















どうして箱根で泊まらず三島まで戻って泊まったのか、
今となってはどうしてそんな判断をしたのか分からない





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