すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


箱崎(はこざき)の松(福岡県東区)





箱崎の松は筑紫の国を代表する歌枕。

(いわ)れは次の通り

神功皇后は、宇美の里(福岡県宇美町)で応神天皇をお産みになったが、その際、お胞衣(おえな/へその緒、胎盤)はに入れて白砂青松の岬(御)に埋めた。そして標(目印)としてを植えた。
つまり「お胞衣を入れた箱」、「岬の目印の松」がキーワード。
その「箱崎の松」をご神木として(はこ)崎宮が建立されたそうだ。

その松は老木となり、古い時代の生き証人のように語られたり、また枯れては代々植え継がれてきて、現在も境内に「筥松(はこまつ)」があるが、何代目なのであろうか。


そのほかにも箱崎宮はエピソードに事欠かない。

まず蒙古襲来の際は、亀山上皇が「敵国降伏」の祈願をし、二度にわたる襲来を退けたので、敵襲防衛の神として信仰されている。楼門には「敵国降伏」の扁額が掲げられている。

また、マイナーな演目ではあるが、能の「唐船(とうせん)」と「箱崎」の謡蹟である。どちらもよく知らない。







とりあえず筥崎宮に訪問した

(はこ)崎宮 ・・・ 福岡県福岡市東区箱崎一丁目22-1




これは一之鳥居。石造りの独特のシルエットで筥崎鳥居というらしい。黒田長政が建立。



箱崎の松、「筥松」。ご神木である。



楼門。「敵国降伏」の扁額が掲げられていて「伏敵門」と称せられる。



「敵国降伏」の扁額
これはすごい。



拝殿、本殿



光の加減でよく見えないが、この堂には亀山上皇の銅像が納められている。


    
蒙古襲来絵詞の案内板




元寇関連の史跡
いろいろなアイテムが集められていた。



元寇の歌があったらしく、音符の石碑があった。



能「唐船」の謡蹟が整備されていた。
箱崎のいそべの千鳥親と子となきにし声をのこす唐船 謡曲『唐船』




一之鳥居から海まで長大な参道が続く。






博多湾。
ここは「お潮井浜の真砂」といって、身を清める砂浜。
現在でも神事が行われているようだ。



「お潮井浜の真砂」の沖はこんな感じ



一般的な港の風景になっていた



飛行機から
右手の博多湾から参道が緑色になって続いているのが見える。







箱崎を詠んだ歌


千早振る神代に植えし箱崎の松は久しき標しなりけり 法印行清(続古今和歌集)


幾世にか語り伝へむ箱崎の松の千歳のひとつならねば 源重之(拾遺和歌集)


箱崎の松はまことの緑にて香椎のかたもつみはきこえず 源俊頼


そのかみの人は残らじ箱崎の松ばかりこそわれをしるらめ 中将尼(後拾遺和歌集)


跡たれて幾世経ぬらむ 筥崎も神さびにけり 新拾遺和歌集



昔のことを知っている松の老木の擬人化など、古いことなどが主なテーマとなっている。






変わり種としては、源氏物語の「近江の君」関連の歌。
弘徽殿女御に会いたいと気が狂ったような歌を送ったところ、その女房からの返歌。近江の君は「松は待つ」ことだと喜んだ。

常陸なる駿河の海の須磨の浦に 波立ち出でよ筥崎の松 源氏物語





明治維新以後の歌

玉くしげふたたび三たびいくそたび見るともあかじ箱崎の浦 三条実美


久方の月見草咲く箱崎の浜の松原をただ一人行く 柳原白蓮


どちらも箱崎の海岸あたりの情景を詠んだもの。
三条実美の歌は、「箱」の関連語として「(ふた)」を持ってきて、枕詞の「玉くしげ」を導いている。、








赤く囲ったところらへん






江戸時代の俳諧師である大淀三千風は著書「本朝十二景」で、
日本の景勝地のトップ3は「田子の浦」「松島」、そして「箱崎」だと
記していますが、「箱崎」はそこまでのモノではないと思います。






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