すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


浜松(静岡県浜松市)





東海道五十三次で、江戸から数えて29番目の宿場が浜松宿。
浜松城の城下町として宿場の規模は箱根宿と並んで東海道中で最大級であったらしい。
宿場は、浜松の市街地のど真ん中にあったため、現在では往時の面影は残っていない。ただ、沿道の町名に「旅籠町」「伝馬町」「木戸町」などがあり、名残をとどめる。



■ 東海道を歩いた時の写真


浜松宿には本陣宿が六軒もあった。ここは梅屋本陣跡。
国学者の賀茂真淵はこの梅屋の娘婿とのこと。



正面のビルは川口本陣の跡。



この辺り、本陣、脇本陣が軒を連ねていた。



東海道はこの交差点で直角に曲がる。
浜松城は正面のビルの向こう。



浜松信用金庫板屋町支店
浜松市のマスコットキャラクターなのか、井伊直虎のマンガが描かれていた。



浜松駅





こんな浜松を詠んだ歌

浜松のかはらぬ陰を尋ね来て見し人なみに昔をぞとふ 阿仏尼(十六夜日記)

波は浜松には風のうらうへに立ちとまれとや吹きしきるらん 海道記

高師山こえ来て見れば浜松の一すぢ遠き浦の入海 憂融









東海道五十三次(歌川広重)「濱松」 WIKIPEDIAより

左に三方ヶ原の古戦場、右に浜松城、真ん中に「颯々松」(ざざんざのまつ)を描いている。











あと、浜松城を詠んだ句を紹介

浜松は出世城なり初松魚(かつお) 松島十湖

松島十湖は明治大正時代の俳人
もともと浜松城は出世城と呼ばれていたのではなく、この句が詠まれた後に広まったとのこと。
徳川家康が岡崎城を長子に譲って浜松城に移り住み、武田信玄の猛攻を凌いで、やがて天下を望むようになったこと。
また江戸時代、浜松城主となった人は、その後に老中や京都所司代、大阪城代などによく出世したという記録もある。
いやはや、じつに縁起の良さそうな句である。












二泊三日で豊橋から掛川まで歩きました。






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