すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


般若寺址(京都市右京区)




藤原道綱母の蜻蛉日記といえば、夫への嫉妬と息子への溺愛ぶりが赤裸々に記されており、それはそれでそれなりに楽しめる作品である。
その中で個人的に気に入っているのは「鳴滝籠り」の段。
藤原道綱母は、藤原兼家のつれない仕打ちに耐えかねて、「西山の寺」にしばらく籠ることにした。
この西山にある寺というのが、鳴滝の般若寺のことで、現在では廃寺になっている。
藤原道綱母が般若寺に着いたその日に、兼家は物忌みの最中なのに追いかけてきた。子供の道綱が父と母の間を取り次ぐために、何度も石段を上り下りするが、結局、兼家は怒って帰っていくことになり、道綱は大泣きすることに。


その後も般若寺に籠り続ける道綱母に対して、兼家から見舞いの手紙が届くので、歌を返した。

かけてだに思ひやはせし山深く入相の鐘に音を添へんとは 藤原道綱母
よそうだにもしないことでした。こんな山深く分け入って、入相の鐘に音を
添えて泣く身になろうとは(現代語訳 蜻蛉日記 更級日記/犬養廉) 


いふよりも聞くぞ悲しき敷島の世にふるさとの人やなになり 藤原兼家
 入相の鐘に音を添えんとはとおっしゃる当のあなたよりも、承る私のほうが
悲しくてなりません。あなたに見捨てられた都に暮らしている私どもの気持ち
はなんと申したらよいものやら(現代語訳 蜻蛉日記 更級日記/犬養廉) 


こんなかんじで道綱母は般若寺に籠り続けていたが、とうとう兼家が迎えにやってきて連れ戻そうとするうちに、子供の道綱が荷物をまとめはじめて車に積み込んでしまった。
これでふんぎりがついて、道綱母も自宅に帰ることになった。

こうして道綱母のプチ家出は終了。

藤原道綱母は、そこそこの貴族の家に生まれ、すこぶる美人で、和歌の才も確かなものがあったようだ。それゆえに当時の権力者の藤原兼家から求婚されたのだが、一夫多妻制の当時において、夫への独占欲が強すぎ、嫉妬の炎を燃やす道綱母は、兼家にとっても大変だったろう。




そんなエピソードがあった、「西山の寺」、般若寺の跡地に行ってきた。


ところが、道の途中に柵が作られていた。

乏しい情報であったが、白砂山の山麓に、現在は般若寺稲荷という小さな祠が祀られているとのことであった。ところが一帯が造園業者の敷地になっていた。


白砂山。
この麓にあったらしい。



蜻蛉日記では、
「堂いと高くて立てり。山めぐりて懐のやうなるに、木立いとしげくおもしろけれど、闇のほどなれば、ただいま暗がりてぞある」
と描写されている。





まあ、立ち入りができなかったので、これ以上何も書くことがない。
実に残念無念。




都名所図会「般若寺 三宝時」

(国際日本文化研究センター)












現地まで行ったことで満足しています。






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