すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


埴生(はにゅう)(大阪府羽曳野市)







大阪の羽曳野市周辺は古代大和政権とのつながりが強く、いろいろなエピソードが残っている。
現在、旧竹内街道沿いには埴生(はにゅう)という町がある。とっても由緒ありそうな地名であるが、ここも古事記に出てくる。



波邇賦(はにゅう) 我が立ち見れば かぎろひの 燃ゆる家村 妻が家あたり 履中天皇(古事記)


これは履中天皇が難波宮で宴会し寝てしまったところ、弟のスミノエノナカツミコが反乱を起こし、宮殿に火を点けたので、あわてて大和の国へ逃げる途中、埴生の坂から難波宮をかえり見て詠んだ歌。
波邇賦坂(はにゅうのさか)から見渡すと、家々が燃えているよ。私の妻の家辺りだ」
このあと履中天皇たちは大和国の石上までなんとか無事にたどり着いたらしい。




埴生の坂に行ってきた。


旧竹内街道。そこそこの坂になっている。



この曲がり具合がよい。いかにも旧街道の曲がり方だが、建っている家は現在風。



これも。日本最古の官道が今や生活道路になっている。



そして、ここから難波宮を返り見た。
家々が燃えているのが見えたらしい。



古事記等の記述が本当かどうか分からないが、本当に興味深い。









また、日本武尊伝説にも埴生が登場する。近くの白鳥神社の社伝には、日本武尊が死んで白鳥になって、最後に旧市邑(ふるいち)を飛び立つときに、
白鳥は舞い上がり埴生野の丘を羽を曳くがごとく飛び立った
と記されている。
なお、この「羽を曳く〜」から「羽曳野」の地名の由来とされている。









上記の家が燃えている〜の歌は、一方で妻恋の歌だという説もあります。




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