すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
東岸和田(大阪府岸和田市)
大阪府の南部、泉州の東岸和田周辺は和泉式部のゆかりの地だそうだ。 たしかに和泉式部は「和泉」にちなんだ名前であるし、どんなものかなと思って、家の近所でもあるので訪問してみた。 ![]() これは『和泉式部ゆかりの恋の淵』(岸和田市上松町3-10) 石碑には「古来この地に清泉が湧出するところから、恋多き女性和泉式部の旧蹟と伝えられている」と記されている。 ![]() 住宅地街の小さな池?の中に立派な石碑があった。 ![]() こんな住宅地街の中にある。 白い柵のところ。 ![]() これも |
あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな | 和泉式部(百人一首) |
それから、 この「恋の淵」から歩いて3分ほどのところに「和泉式部 恋ざめの淵」(岸和田市上松町207) ![]() 前の「恋の淵」と対になっていたようで、和泉式部がこの淵で顔を洗ったら、男が遠ざかってしまったとの伝説があるらしい。 なんか恐ろしい。 ![]() ![]() 「恋ざめの淵」は住宅地に変わっており、泉は湧いてなかった。 そして、この先の角を曲がったところに「和泉式部 どんび淵」(岸和田市上松町205-2) ![]() ここも泉は湧いていないが、淵の跡が残っている。 「どんび淵」って何の意味かな? ![]() 「和泉式部の歌碑あり」って手製の看板があったが 歌碑はどれかな?何の歌かな? よくわからない。 ![]() こんなかんじで柵に囲われている。 その他、この付近に「和泉式部の筆塚」(岸和田市下松町4-15)、「硯塚」(岸和田市下松町3-7-40)もある。 思うように歌が詠めず、筆と硯を投げたという伝承がある。 JR下松駅の近くに「轟(とどろき)川」が流れている。 この轟川に因んだ歌を和泉式部が残している。 |
轟やあの綿ばかりうるかなりこのわたばかりうるかではなし | 和泉式部(泉州記) | |
轟の川の瀬に棲む鮎にこそうるかといえるわたはありけり | 和泉式部(拾遺泉州志) |
う〜ん、本当に和泉式部が詠んだのか、本当に下手な歌だと思う。 「和泉式部が幼い時に、畑に出て綿をとっていると商人が来て、その綿を売るかと問うた時に詠んだ歌らしい。 このあとに轟川から鮎がいなくなったという。 (うるかは、鮎の腸または鮎の子の塩漬)」 以上、岸和田市の説明版より 轟川に架かる小栗橋から西方向を望む。 阪和線にJR特急「くろしお」が走っていた。 (岸和田市下松町) ![]() 昔は鮎がいたとのこと ![]() 今は鯉と亀 ![]() 轟川は交差点の下をななめに流れている。 この交差点全体が橋となっている。 轟川の上流部分 (岸和田市尾生町) ![]() 「中尾生橋」から下流方向を望む ![]() 「轟川」の文字 地元では一般的に「春木川」といわれている。 ![]() 「中尾生橋」から上流方向を望む ![]() ![]() 田園地帯となっていた。 |
とにかく、和泉式部の名前は、最初の夫の橘道貞が「和泉守」であったことと、父の官名の「式部」を組み合わせたもの。 夫が和泉守として和泉国に赴任したときに一緒についてきたのだろうか。 |
追記 |
上掲の和泉式部の史跡は岸和田市の上松町と下松町に所在する。 もともと熊野街道の山手側に松村があって、それが上松と下松に別れたもの。 夫木和歌抄に松村を詠んだ歌が収録されている。 |
夫木和歌抄 |
不思議なのは、この歌に因んだのか、常磐を冠する地名がこの辺りにあること。 岸和田市立常磐小学校や、同じく市立常磐幼稚園、公文式も常磐教室、ときわ公園、そのほかいろいろあるようだ。 常磐がもともとのこの地にあった地名なのか、この夫木集の歌が影響したのか、どうなのか |