すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


引田(奈良県桜井市)





古事記の雄略記の赤猪子説話は、悲しいというか、気の毒な話である。

内容を簡記すると、





・雄略天皇が三輪川のほとりで洗濯をしている童女に出会った。

・とても美しい容姿だったので、天皇は童女に「お前は誰の子だ?」と声をかけた

・童女は「引田部の赤猪子です」と答えた

・天皇は童女に「お前は結婚するな。もうしばらくすると宮中に召し抱えよう」と伝えた。

・天皇はそのことを忘れてしまい、80年の月日が経った。赤猪子はその間結婚もせずにずっと天皇から呼ばれるのを待っていた。

・赤猪子は「天皇からのお呼び出しを待ってる間に姿も痩せ衰え、頼る人もいなくなった、せめて此の気持ちを天皇に伝えたい」と引き出物を持って宮中に参った。

・天皇は完全に忘れており、現れた老女に向かって「お前は誰だ、なぜ参内したのか」ときいた。

・赤猪子は「お迎えを待っている間に80年の歳月が経ちました。今や容姿も衰えしまいました。最後にこの気持ちを伝えに来ました」と答えた。

・天皇は気の毒に思い、共寝してあげようかと一瞬思ったが、痩せ衰えている姿を見てやめて、かわりに歌を詠んで贈った


引田の若栗栖原若くへに 率寝てましもの老いにけるかも 雄略天皇(古事記)


・引田の若々しい栗林のように、若かったら共寝したけれど、私も老いてしまったよ、という意味。

・老女は天皇から贈り物をたくさんもらって帰って行った。




以上である。実に気の毒な話である。


















■現地へ訪問



雄略天皇が童女と出会ったのは三輪川のほとり。今の初瀬川か。


問いかけられた童女は「引田の集落に住む赤猪子(あかいこ)です」と答えている。
おそらくその後の80年の間、赤猪子は引田で住んでいたのだろう。
「角川日本地名大辞典」によると、引田は現在の桜井市白河地区で、その地に延喜式内社の乘田(ひきた)神社がある。


今回、乘田神社に訪問したが、大変な道のりであった。
山の中腹にちょうど自動車の幅ぐらいの山道があり、道のすぐ下は崖になっていて恐ろしかった。途中で限界集落なのか放棄集落なのか分からないような民家があった。




乘田神社の入り口(右側)。ここまで自動車で来た。




鳥居があって、




社殿があった



案内板?
「引田部赤猪子伝説」「記紀・万葉」「白河・乘田神社」の文字が見える。








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現在でも生活するのが大変そうな場所であるが、
記紀の時代にここの人々はどのように生きて
きたのだろうか?






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