すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
日永の追分(三重県四日市市)
「道が左右に分かれているところを追分という。『日永の追分』は東海道と伊勢街道の別れ道である。」(現地の案内板)![]() 四日市側から、日永の追分を撮影。道路を右手に曲がるのが東海道で、直進(左)で進むのが伊勢街道。 街道マニアが泣いて喜びそうなポイントである。 「鳥居は安永三年久居出身で江戸にいた渡辺六兵衛と言う人が、江戸から京都へ行くとき、ここから伊勢神宮を遙拝するようにと思って立てたものである。」(現地の案内板) ![]() 伊勢神宮の二の鳥居。 昔は街道を跨いで立っていたらしい。 現在では三重県の指定記念物(史蹟)となって、整備されている。 ![]() こんなかんじ。 【日永を詠んだ歌】
※梓弓は春の掛詞 ※「天白」は日永を東西に横断して流れている川 ![]() 天白川(旧東海道より)
※「洲崎」は日永の海側にある地名 海岸沿いに松がむら立っていたようだ。 |
行き侘びぬいざ浜村に立ちよらむ 朝明過ぐるは 日永なりけり | 鴨長明 |
※「浜村」は四日市の浜田、「朝明」は四日市の北にある地名 伊勢参宮名所図会にも日永の追分は描かれている。 ![]() ![]() 早稲田大学図書館 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』では北八が、この地の茶店「かぎや」で金比羅詣りの旅人と饅頭の食べ比べをして、饅頭代三百文をだまし取られる様子が記されている。 そこでこの歌、
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