すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


日野(京都市伏見区)




平重衡終焉の地、日野。
平家物語フリークとして是非とも訪れたい「ゆかりの地」であった。
今回(2016年夏)、宇治・山科方面へ「ゆかりの地」巡りの旅を敢行するに際して、日野にある重衡の墓に参るべく、予めいろいろな資料を集めたが、実際どこに墓があるのかよく分からなかった。
いくつかのホームページに写真が掲載されていたので、背景などの情報をもとにGoogleの航空写真やストリートビューを駆使して探索したところ、なんとか団地の公園の中にある重衡の墓を発見。




これが重衡の墓




回りの風景

まさに団地の中の公園



ストリートビューでこの界隈を調べまくった。



これらの風景は自宅のインターネットで何度も見て確認した。








【平家物語】

一の谷の戦いで源氏方に捕らわれた平重衡は鎌倉に送られたが、南都焼討ちの総大将であった重衡の身の引渡しを南都宗徒が求めてきた。
そして奈良への移送中、妻である大納言典侍と涙の対面をしたのが、山科の日野の地であった。
ここでは、重衡の髪を切って形見にしたり、汚れた着物を着替えたり、歌を詠み交わしたりして、感動の別れが展開する。


いやはや、重衡の男っぷりが良いので、感動の名場面である。


中将泣く泣く一首の歌をぞ書き給ふ

せきかねて泪のかかるから衣後の形見にぬぎぞかへぬる 平重衡(平家物語)


北の方の返事に

ぬぎかふるも今はいかがせん今日を限りの形見と思へば 大納言典侍(平家物語)


重衡は木津川の畔で処刑され、首は般若寺の門前にさらされ、胴体は日野へ引き取ってきた。その後、首ももらい受けて、日野で火葬して、墓を建てたとされる。
(巻第十二「重衡斬られの事」)





現在、墓の周りは公営団地が建ち並び、まさかそんな史跡があるような雰囲気ではないが、都名所図会では「重衡の塚」『日野村茶園の中にあり』とあって、江戸時代は茶畑の中にあったらしい。










京都府京都市伏見区醍醐外山街道町の
辰巳市営住宅2棟の前の公園に重衡の塚






改めて平家物語の「重衡斬られの事」を読み返しましたが、
落涙数行を禁じ得ない最高の場面でした。





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