すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


膝折宿(ひざおりじゅく)(埼玉県朝霞市)





これを過てひざおりといへる里に市侍り。しばらくかりやに休て。
例の俳諧を詠じて同行にかたり侍る。
商人はいかて立らん膝折の市に脚気(かつけ)をうるにそ有ける 道興准后(廻国雑記)




道興准后が膝折の宿に寄った時に詠んだ歌。

膝折の宿は川越街道の宿場町で、地名の由来は、小栗小次郎助重が賊に追われてこの地にやってきたところ、乗っていた馬が膝から折れたことによる。

古くから市が立ち、商人が多く訪れていたようだ。

膝折れから連想される「脚気(かつけ)()る」を、商人がこの市の名産品である家器(かけ)(あるいは家笥(かつけ)、食を盛る器))を()るに転じている。

個人的にはなんとも思わない歌であるが、江戸名所図会では「秀句なり」と褒めている。







■現地訪問


膝折宿跡を代表する建物、脇本陣
案内板があったので転載する

高麗家(こまけ)住宅(膝折(ひざおり)宿 脇本陣(わきほんじん)

朝霞市膝折町は室町時代からの古い職場と伝えられ、江戸時代末には旧川越街道の宿場として民家が立ち並び、特産品を売る市も立ち、この地方の商業の中心地として栄えた場所です。

高麗家は、この膝折宿の中心部に位置し、屋号を「村田屋」と称して旅籠を営んでいました。

建物の建設年代は、建築様式などの特徴から18世紀末期の安永〜天明期(1772年〜1789年)頃と推定され、現在でも当時の旅籠の建築様式が残されており、川越街道膝折宿の面影が残る貴重な建物です。

朝 霞 市





脇本陣から西向きを撮影



東向きを撮影
宿場町の面影が残っているかと言えば残っているし、残っていないとも言える



現在の町名も「膝折町」



町内会も「膝折」














「膝」という字を生涯書いたことがありません





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