すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


本能寺(京都市中京区)




京都オンチなのであんまりよくわからないままに新京極の繁華街から北に向かって歩いていたら、とつぜん本能寺があった。

へ〜、本能寺って織田信長が死んだところやったかな?

日本史が苦手な私でも、織田信長が明智光秀の裏切りにより本能寺で討ち死にしたことぐらいは知っていたが、その本能寺がまだ現存、しかも京都市の中心地にあるとは全く知らなかった。
(焼き討ちと同時に本能寺は灰燼に帰してしまい、現在では残っていないというイメージであった)

それにしても立派やな

表門もなんだか由緒あり気で立派、遠くに見える本堂も豪壮とした建築美を感じる。


表門。たまたま前を歩いていて、なんだか立派そうだったので寺の名前を確認したら本能寺であった。



本堂。まさに荘厳で優美であった。





天正10年(1582年)6月、ここで本能寺の変があった。
そして、炎の中で死んだ信長の辞世(と伝えられている)


人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり 
ひとたび生をうけ滅せぬ者のあるべきか
能「敦盛」



『真書太閤記 本能寺焼討之図』(渡辺延一作)Wikipediaより


死を覚悟した信長は炎に包まれる本能寺でこの句を発した、それを誰かが聞いて後世に伝えた、って訳がないと思う。

能が大好きであった信長は、「敦盛」のこの一節を日常的に好んで口ずさんでいたらしい。
桶狭間の戦いにおいても、この「敦盛」の一節を謡ってから、戦いの陣貝を吹かせ、出陣していったという記録もある。




そんな信長公の墓があった。



傍らには浦上玉堂とその子の春琴の墓があった。
南画ファンにとっての聖地となっている(?)






都名所図会「本能寺」

早稲田大学図書館













JTBの「楽楽 京都」というガイドブックには本能寺のことが
書いてませんでした。そんな扱いの存在なのかな?







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