すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


洞ヶ峠(京都府八幡市)





日和見主義的なことを「洞ヶ峠を決め込む」というが、これは戦国武将の筒井順慶が本能寺の変の後に明智光秀側につくか、羽柴秀吉側につくか、この洞ヶ峠から戦況を眺めたという故事に基づくもの。


筒井順慶は、明智光秀の斡旋で織田信長に臣従したため、同じ立場の細川幽斎とともに光秀に助勢するものと見られていた。

光秀から再三の参陣を求められたにもかかわらず、かたくなに態度を明らかにせず、秀吉が有利と見るや直ちに峠を下りて秀吉に味方したという。

江戸時代に入り、これらの話が繰返し講談などで語られた。
そして洞ヶ峠に関する川柳が生まれた。


定まらぬ 天気 順慶 見定める 誹風柳多留

風のよい ほうへ 順慶 帆をむける 誹風柳多留


筒井順慶にとって、実に不名誉なことである。
突然本能寺の乱が起こり、お世話になっていた光秀から協力を求められたが、中国から秀吉が疾風のごとく戻ってきて勢いを増す中、順慶としても一族を守らなくてはならず、すぐに判断ができなかったのだろう。





そんなことを考えながら、洞ヶ峠へ行ってきた。



京阪バイパス洞ヶ峠交差点
大阪と京都の県境でもある



交差点から大阪方面
昔は峠の茶店があったらしい
現在は「洞ヶ峠茶屋」という蕎麦屋が営業している



京都方向



ここから山崎の戦いの様子を見ていたとのことだが、現在では全く見えない



交差点の一角に「筒井順慶陣所跡」の石碑があった







筒井順慶は、その後、秀吉の家臣となり大和の所領は安堵された。
だが、ほどなく36歳の若さで死去。
辞世が残っている。


根は枯れじ筒井の水の清ければ心の杉の葉は浮かぶとも 筒井順慶


心は「清い水」と訴えているところを見ると、逆に、後ろめたいことがあったのだろうと想像してしまう。















京都に向かう途中の交差点でした






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