すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


細呂木(ほそろぎ)(福井県あわら市)








越前国の加賀国の国境近くにある地名、「細呂木(ほそろぎ)」はいかにも由緒有り気である。


ネットで調べてみた。


【福井新聞社のうんちく豆事典】
あわら市細呂木(ほそろぎ)は昔、北陸街道の要路として、吉崎参りや旅人の往来でにぎわった。古くは「保曽呂伎」「細呂枳」の表記も残り、越前から加賀へ抜ける道が谷間の細長い地形が由来という。


由緒というよりも、地形由来のものだった。





細呂木は、旧北陸道沿いに位置し、吉崎への分岐点であったり、加賀国に接する関門であったり、古来交通の要衝であった。





鎌倉時代、親鸞は承元の法難により越後国へ流罪となった。越後国へ下る道中、ここまで随伴してきた越前門徒との別れを惜しみ歌を詠んだ。


音に聞くのこぎり坂にひきわかれ身の行く末はこころ細呂木 親鸞
旧北陸道沿いに歌碑があるとのこと



のこぎり坂」は、国境の険しい山を鋸の歯のように曲がりくねって越える難道だったことからついた地名。

ノコギリを挽くように別れて、これから先は心細い、というかんじ。

















1577年(天正5年)、織田信長軍との戦いで、上杉謙信は細呂木に陣を敷き、野営した。


野伏(野武士)する鎧の袖も楯の()もみな白妙(しろたえ)の今朝の初雪 上杉謙信




野営して朝目覚めると、鎧の袖も楯の(ふち)も雪で白くなっている様子を詠んでいる。










【現地訪問】


これは細呂木館(城)があった丘を撮影したもの。
但し、細呂木館は一向一揆時代の細呂木氏の居城であり、上杉謙信が野営した場所ではない(と思う)。
ほかに撮影する対象が見当たらなかったので、とりあえず細呂木館を撮影。
その名の通り、野営地はこの辺りの野原だったのだろう。



細呂木館の跡地に神社が建っているので行ってみた。



丘の頂上に神社があった。この奥が細呂木館跡地。















「細呂木関所跡」に行くべきだったと思う





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