すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


細谷川(岡山市北区)





吉備の中山は、備前国と備中国の国境であり、北麓では細谷川が境界線となっている。
細谷川は中山、有木とともに吉備の歌枕として京の都の歌人たちによく知られていた。


有名なこの歌

真金吹く吉備の中山にせる 細谷川の音のさやけさ 古今和歌集
「真金吹く(まがねふく)」は鉄を精錬する意味で、吉備の枕詞

これは仁明天皇の大嘗祭で詠まれたので9世紀の歌。
吉備の中山を流れる川の流れを帯に例えたもの。
「音のさやけさ」という表現も印象的である。
細い谷の川という一般名詞のような細谷川が歌枕となったのは、多分この歌の影響が大きいだろう。




先ず、現地を訪問





細谷川に架る橋は、国境を渡る橋なので両国橋という。


これが両国橋。



細谷川と両国橋の石碑



両国橋から上流を望む。
草が伸び放題となっていた。



両国橋から下流方向。
わずかに水が流れている。



有木山の中腹の細谷川。一般的な細い谷の川であった。





細谷川を詠んだ歌を集めてみた。
氷やつららのイメージだったようだ。


つららゐし細谷川のとけゆけば水上よりや春はたつらむ 堀河百首

山里の夜半の嵐の寒ければ細谷川ぞまづ氷りける 堀河百首

つららゐる細谷川の音絶えてみ雪降るらし吉備の中山 珍誉和歌

冬来れば細谷川して玉の帯する吉備の中山 実家集











両国橋から15分ぐらい上流に「細谷川 丸太橋」の跡地がある。
これは平家物語の通盛と小宰相の馴れ初めのエピソードに登場する、あの丸太橋である。
細い谷の川なので、橋を架けるとすれば、丸太を架けるしかないのであるが、当時は、細谷川の丸太橋ってそれなりに有名だったのであろうか。





超簡単に通盛と小宰相の馴れ初めを紹介する。

@通盛は、美人の小宰相に恋をした。
A通盛は、思い余って小宰相が乗る御車の中に文を投げ入れた。
我が恋は細谷河のまろ木橋 ふみかへされてぬるる袖かな 平通盛(平家物語)
B小宰相は、仕えている女院の前で文を落としてしまった。
C女院は、小宰相に代わって、みづからご返事あそばされけり。
ただたのめ細谷河のまろ木橋 ふみかえしてはおちざらめやは 上西門院(平家物語)
Dついに二人は結婚したが、平家の滅亡で、二人であの世に行くことになった。
(平家物語、巻八、小宰相の事)



たまたま有木山の藤原成親遺跡に向かって歩いていた時に丸太橋の石碑を発見したもの。これはこれで感激であった。











山県有朋も細谷川を詠んでいる。

野は里にひらけゆく世も谷川ほそき流れはなお残りけり 山県有朋


「真金吹く吉備の中山帯にせる〜」とともに、
細谷川・両国橋の石碑の側面に刻印









*********








備中名所考「細谷川」 (新日本古典籍総合データベース)
















エピソード感のある歌枕が大好きです。







copyright(C)2012 すさまじきもの〜「歌枕」ゆかりの地☆探訪〜 all rights reserved.