すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


一条戻り橋(京都市上京区)




怨霊とかが苦手というか全く興味なし!なので、心霊スポットの話題とかテレビの怪談話とか、アホらしいと思っている。
だから陰陽師の阿部晴明関連は常に素通りしているし、今昔物語も読む気にならないし、菅原道真も平将門も崇徳天皇も、何かあったのかな?と思う程度。小野篁、Who?

ただし中世の時代を理解するためには怨霊を避けて通ることはできない、という考えも十分に理解している。
21世紀の科学の時代から振り返って、中世の人たちは何もわかっていないな〜とか言うべきでないことも十分承知している。


そんなことを考えながら、今回は「一条戻り橋」を訪問した。


これが「一条戻り橋」の現在の姿。
石材で装飾されているが、コンクリートの桁橋だろう。
下流から撮影。



上流方面から撮影。
なんとなく、それなりの雰囲気がでている。



親柱に「戻橋」。もう一方の親柱には「一條」とあった。



堀川の流れ。長らく水が涸れていたそうだが、琵琶湖疎水の水を還流させることによって、最近になって流れが復活したらしい。



エピソードを書こうかと思っていたが、現地の案内板にうまくまとめられていたので転載する。
伝説の橋「一条戻橋」
延喜18年(918)、文章(もんじょう)博士・三善清行(みよしきよつら)が亡くなった時、父の死を聞いた熊野の僧「浄蔵」が紀州熊野から京都に馳せ帰ってみると、その葬列は丁度この橋の上を通っていました。浄蔵は柩(ひつぎ)にすがって泣き悲しみ、神仏に熱誠を込めて祈願したところ、不思議にも清行は一時蘇生して父子物語を交したという伝説から戻橋と名付けられたと言われています。
太平記、剣の巻によれば、その頃、源頼光の四天王の1人であった渡辺綱(わたなべのつな)が深夜この橋の東詰で容貌美しい女子に「夜更けが怖いから送って欲しい」と頼まれたので、馬に乗せたら女はたちまち鬼と化し、渡辺綱が腕を切り落とした、と記されています。
また、一条戻橋は「あの世」と「この世」をつなぐ橋とも言われていました。伝説では、平安時代の天才陰陽師として名高い安倍晴明の父である保名が殺害された場所であり、晴明が呪法を駆使して保名を蘇生させた場所とも言われています。
以上のような歴史を持つ一条戻橋ですが、現在の橋は平成7年に新築されたものです。

京都市





追加として

■嫁入り前の女性は、結婚後に戻ってくるのを忌み嫌って、この橋には近寄らないらしい。

■また、嫁入りの際はこの橋を渡らないらしい。

■戦争中、出兵する兵士たちは無事に戻ってくることを祈念して、この橋を渡ったという。

■豊臣秀吉は、キリスト教の禁教を破ったとして、キリスト教信者26人の耳たぶをこの橋のたもとで切った。

■陰陽師の阿部晴明は十二人の神将を式神として自宅に置いていたが、晴明の妻が式神の顔を怖がったため、この橋の下に移して、必要な時だけ召喚したらしい。(※式神とは、陰陽師が使役する鬼神のこと)

■すぐ近くに晴明神社には、大正年間に架けられた一条戻り橋が架け替えの際に移されて保存されている。(※晴明神社は阿部晴明を祀っている)





こんな数奇な伝説に彩られた「一条戻り橋」を詠んだ歌


いづくにも帰るさまのみ渡ればやもどり橋とは人の言ふらん 和泉式部


う〜んと、どこに行っても帰る時だけこの橋を渡るので戻り橋と人々は言うのだろう、という意味で、なんだかよく分からない。





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都名所図会の挿図

国際日本文化研究センター)

この絵を見ると、二つの川がこの一条戻り橋で合流している。
茶店もあったようだ。













結局、近くにある晴明神社はパスしました






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