すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


井出の玉川(京都府井出町)






<玉川まとめ>

名称 キーワード 訪問
山城 井手の玉川 山吹 済み
近江 野路の玉川 済み
摂津 三島の玉川  卯の花  済み
武蔵 調布の玉川 晒布  
陸奥 野田の玉川  千鳥  済み
紀伊 高野の玉川 旅人または氷  


古歌に詠まれた全国六か所の玉川を総称して『六玉川』という。
歌枕巡りを趣味とする者にとって『六玉川』の制覇は、とても魅力的な目標である。
2016年2月、「井出の玉川」(山城国)を訪問したことで、残るは二か所。「高野の玉川」など自宅(大阪府南部)から近いのでいつでも行ける。調布はちょっと遠いな。











「井出の玉川」とは、

■奈良時代の公卿の左大臣橘諸兄がこの地に別荘を建て、風流を楽しんだ。橘諸兄は万葉集の成立に深く関係していることから、ここは風流の勝地であると伝えられた。
京都と奈良の間に位置し、古来多くの人々がここを通った。
女流歌人たちも長谷寺参詣の途中でこの地を訪れている。
このため他の多くの歌枕のように、行ったこともなく想像上のイメージで詠んだ歌ではなく、実際にこの地に訪れ、山吹の花を見て、玉川を実感した体験に基づいて作られた歌であろう。
 
■「井出」は「井堤」であり、川を堰き止める意味があった。

■そして旅人が喉を潤す際、川の水を「手ですくって飲む」のだが、これが「手飲み(たのみ)」となり、「頼み」と掛られている。
■「山吹」がキーワード
もともと橘氏の氏寺であった井堤寺の境内で植えられていたが、これが井出のイメージとなった。
■「かわず」(カエル)も井出の玉川には関連して頻出

他に何かあったかな?






こんな話題満載の井出の玉川に行ってきた。


いやはや、どうも想像していたのと違う、というか訪問の時期を間違えたのかな?




川をはさんで桜並木が続いていた。その時期になると美しいのだろう。




おっと、ヤマブキを発見!
この写真では見えにくいが、手前にヤマブキが植えられている。
ヤマブキは春、4月か5月ごろに黄色(まさに山吹色)の花が咲く。




町で復元事業をしているようだ。




こんな井出の玉川を詠んだ歌



玉藻刈る井堤のしがらみ薄みかも恋の淀める我が心かも 万葉集

万葉歌では、川をせき止める堰を関連させている




山吹の 花咲く里に なりぬれば こゝにもゐでと 思ほゆるかな 西行法師


玉川の川堤(右岸)に歌碑




山吹の花のさかりに井出に来てこの里人になりぬべきかな 恵慶法師




山城の井出の玉水手にむすびたのみしかひもなき世なりけり 伊勢物語




山吹の 花色衣 さらすてふ 垣根や井手の 渡りなるらむ 後鳥羽院


玉川の川堤(右岸)に歌碑




色も香も なつかしきかな 蛙鳴く 井手のわたりの 山吹の花 小野小町(新後拾遺集)
音にきく 井手山吹 見つれども 蛙の声は 変らざりけり 紀貫之


井手町大字井手小字玉ノ井20の民家の壁


伝小野小町の墓に歌碑(小野小町の歌)
(34°48'08.7"N 135°49'07.5"E)





駒とめてなほ水かはん山吹の花の露そふ井手の玉川 藤原俊成(新古今和歌集)
山城へ井出の駕籠借る時雨哉 松尾芭蕉


井手町大字井手小字玉ノ井20の民家の壁




思はずに 井手の中道 へだつとも 云はでぞ恋ふる 山吹の花 紫式部


春深み 井手の川波 たちかへり 見てこそゆかめ 山吹の花 源順(拾遺和歌集)


かはづ鳴く井手山吹散りにけり花の盛りにあはましものを 古今和歌集


玉もかる井手のしがらみ春かけて咲くや川瀬のやまぶきの花 源実朝









 こうやって並べてみると、やはり「山吹」と「蛙」が詠み込まれているのが圧倒的で、季節は春!といったところ。

上にも写真を貼ったが、井出町の民家の壁に井出町の地図と和歌と俳句が大きく描かれていた。




「たなか屋」?の宣伝のようである。





あと、伝小野小町の墓の写真

う〜ん、ノーコメント




それから井堤寺跡にも訪問



不思議と言うか、ここにあった橘諸兄の歌碑は、ヤマブキでなくナデシコを詠んでいた。

賄しつつ 君が生ほせる なでしこが 花のみ問はむ 君ならなくに 橘諸兄


井堤寺跡に歌碑





いろいろ書いたけど、他に何か書くことあったかな?


1143年の地図らしい。(井堤寺跡の案内文の横)
きちんと見ると興味深いものがあった。







都名所図会「井出の玉川」

早稲田大学図書館














満足度の大きい歌枕の地でした






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