すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
井戸田(名古屋市瑞穂区)
私が大好きな「ゆかりの地」のタイプは、『マイナーながらストーリー性のある』場所。 井戸田はそんなかんじで、私好みのゆかりスポットである。 そんなかんじって、どんなかんじなのか、というと @藤原師長は保元の乱で父の頼長に連座し土佐の国に流罪(9年) Aその後、復職して太政大臣までのぼり極める Bところが前世の報いなのか、こんどは尾張国に流されることになる C配所では、名勝地の鳴海潟を眺望しながら、朧月を見上げ、琵琶を弾じ、浦風に吟じ、和歌を詠みながら、悠々自適の生活を送った。 (平家物語 巻第三 大臣流罪の事) その、尾張の配所とは現在の名古屋市瑞穂区の井戸田にあたり、この周辺では藤原師長にまつわるいろいろな伝承が伝わっている。 先ずは「藤原師長公謫居(たっきょ)跡」 ![]() 住宅地の片隅に佇んでいた。 「嶋川稲荷」のなかに石碑と案内板があった。 ![]() 石碑 ここが配所跡で、ここから鳴海潟を眺めていたのかな ![]() ここから南方向は高台があるので海は見えない。 南西方向に向いて、そこに広がる干潟を鑑賞していたのだろう。 (配所跡は「妙音通駅」のすぐそばにある) ![]() え〜と、これは「師長小橋」。向こうに名古屋鉄道が走っている。 ![]() 近くに「師長橋」もあるらしい。 ![]() 師長の法名は「妙音院」だったらしい。 配所跡すぐ近くに「妙音通」がある。 ![]() ![]() ![]() 地下鉄の駅名も「妙音通駅」 その他、師長が配所での身の回りの世話をした槐女との別れにまつわるエピソードもある。 別れ際、師長は槐女に形見として片貝の琵琶「白菊」を与えた。槐女は悲しみのあまり、その形見を抱いて水に身を投じたという。 |
四つの緒のしらべもたえて三瀬川、沈みはてぬと 君に伝えよ |
とにかく、師長はこの地を愛し、自らを唐の白楽天に擬して、配所での生活を楽しんだようで、琵琶三昧の日々を過ごしたらしい。 そして、これは平家の悪行があったために体験できたものだと感慨に耽ったと、平家物語にある。 |