すさまじきもの ~歌枕探訪~


伊賀の中山(三重県伊賀市)




「伊賀の中山」って、駿河の高名な「小夜の中山」の二番煎じかと思いきや、はるか昔の日本書紀の「壬申の乱」の項に出ていた。

伊賀の駅家を焚く。伊賀の中山に逮(いた)りたまふ。而るに当国の郡司等、数百の衆を率いて帰(よ)りまつる
(卽急行到伊賀郡、焚伊賀驛家。逮于伊賀中山、而當國郡司等率數百衆歸焉)


駿河の「小夜の中山」は山の尾根を歩く道であったが、「伊賀の中山」は木津川に沿った道で、古代の交通の難所であった。
そののち、断崖絶壁の奇観から、「伊賀の中山」は景勝地となったようだ。









とにかく、伊賀の中山に行ってきた






国道のトンネルができるまでは、木津川に沿って道路がカーブしていた。それ以前、初瀬街道の時代は川べりを歩いていたようだ。
川は深く切れ込み、「竜が淵」と呼ばれていたらしいが、現在では写真のとおり浅くなっていて、断崖絶壁らしいところは草木で覆われていて、とても景勝地とは思えない有様になっていた。


江戸時代、本居宣長が「伊賀の中山」を通り、感動して読んだ歌

河づらの伊賀の中山なかなかに 見れば過うき岸のいはむら 本居宣長(菅笠日記)
川のふちの中山は、話にたがわずなかなかの眺めで、行き過ぎるのが惜しいくらいだ
(伊賀市青山支所「あおやま風土記」)


旧国道沿い(中山橋の南)に歌碑













現在では中山トンネルができて、古代の難所を
一瞬で通り過ぎてます








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【追記】


伊賀の中山を越えてたどり着いたのは阿保宿。

ここで立派な本居宣長関係の石碑を発見!


「本居大人 菅笠日記抄」とあって、上記の「河づらの伊賀の中山~」の和歌と日記の本文が記されている。



横には伊勢神宮関係の石碑があったりした。



阿保宿の町並み



すぐ前には木津川(阿保川)が流れている。本居宣長はこの川を歩いて渡ったと書いている。







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