びっくりしたのは、大都市福岡から少し車で走っただけで、こんな自然の風景があること。しかも福岡市内!
え〜と、日本大百科全書(ニッポニカ)による説明文を転載。
生之松原
いきのまつばら
福岡市西区、博多湾に臨む弓状海岸で、長垂海岸に続く白砂青松の景勝地。地名は神功皇后が新羅遠征の際、戦勝を祈って挿した松の枝が根づいたという伝説によるが、歌枕の地としても有名である。西の長垂海岸との間にある国指定天然記念物の含紅雲母ペグマタイト岩脈や、国指定史跡の元寇防塁跡などがあり、夏は海水浴、釣りなどの行楽客が多い。近くに九州大学の演習林、生の松原海岸森林公園、JR筑肥線下山門駅がある。 |
こんな感じ



福岡の歌枕としては第一級クラス。
白砂青松の美しい砂浜海岸は、それはそれで昔から素晴らしい光景であっただろうが、生ノ松原が歌枕としての確固たる地位を築いた理由はそのネーミングの妙にある。「生きる」や「行く」と掛けて詠まれることが多かったようだ。九州方面に赴任する人に対し餞(はなむけ)の歌として詠まれたらしい。
そんな生ノ松原を詠んだ歌 |
命かな生の松原いきてなほ心つくしの人のはて見む |
菅原道真 |
「つくし」と「筑紫」を掛けている
都へと生ノ松原いきかへり君が千年(ちとせ)にあはむとすらむ |
後拾遺集 |
昔見しいきの松原事とはばわすれぬ人も有りとこたへよ |
橘倚平(拾遺集) |
老いぬれどなほ行先ぞ祈らるる千歳まつにもいきの松原 |
中務 |
「松」と「待つ」
音にきくいきの松原見つるより物思ひもなき心地こそすれ |
藤原高遠 |
恋ひ死なで心づくしに今までもたのむればこそ生の松原 |
藤原親隆(続古今集) |
「つくし」と「筑紫」
たち別れはるかにいきの松なれば恋しかるべき千代のかげかな |
詞花集 |
今日までは生の松原生きたれどわが身のうさに嘆きてぞ経る |
拾遺集 |
「憂さ」と「宇佐」
「生き」は「壱岐」由来の地名だと思ってましたが、どうなんやろ
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