すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
活道の岡(京都府和束町)
京都府の和束町。 ここは安積親王のゆかりの地。 安積親王は、聖武天皇や東大寺造営の頃の皇族らしいが、よく知らない。 たまたま万葉故地の「和束杣山」を尋ねて和束町へ行った際に、珍しい山の形を見つけて写真に撮っていたのだが、帰宅後に整理をしていると、これなん安積親王の墳墓であることが分かり、そこは「活道の岡」という万葉故地とのことで、なんと言うか、とてもラッキーであった。 こんな山 ![]() 山頂の墳墓だけが森になっていて、周りは茶畑になっていた。 とても目立ったので、和束町の風景写真として撮っておいた。 和束町活性化センターのホームページの写真 ![]() ![]() ![]() 「活道の岡」について、次のような万葉歌が詠まれている。 |
かけまくも あやに畏(かしこ)し 我が大君 皇子の命 もののふの 八十伴の男を 召し集へ 率ひたまひ 朝狩に 鹿猪踏み越し 夕狩に 鶉雉踏み立て 大御馬の 口抑へとめ 御心を 見し明らめし 活道山 木立の茂に 咲く花も うつろひにけり 世間は かくのみならし ますらをの 心振り起し 剣太刀 腰に取り佩き 梓弓 靫取り負ひて 天地と いや遠長に 万代に かくしもがもと 頼めりし 皇子の御門の 五月蝿なす 騒く舎人は 白栲に 衣取り着て 常ありし 笑ひ振舞ひ いや日に異に 変らふ見れば 悲しきろかも | 万葉集 |
はしきかも 皇子の命の あり通ひ 見しし活道の 道は荒れにけり | 万葉集 |
これは安積親王が亡くなられた時に大伴家持が詠んだもの。 安積親王が生前に紫香楽宮と恭仁京を行き来する際によく通っていた活道山の道は、親王が亡くなってからは全く荒れ果ててしまったものだと嘆いている。 下記の地図のように、和束は、紫香楽宮と恭仁京を結ぶ街道筋にあたり、当時はそれなりに栄えていたようだ。 ところが都が平城京に遷されてしまったことから、紫香楽宮への街道は廃れてしまったという。 ![]() |