すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


生野(兵庫県朝来市)





百人一首で有名な小式部内侍の歌、
大江山 いく野の道は遠ければ まだふみもみず 天橋立
このなかで詠まれている「生野」の地名について、つい最近まで兵庫県朝来市の生野銀山のある生野のことだと思っていた。そこではなく、京都府福知山市の山陰街道沿いの生野という集落こそが百人一首の生野だということが最近分った。
ついでに言うと、大江山は天橋立の手前の大江山ではなく、京都から亀山へ抜ける老ノ坂峠のある大枝山がそうだとのこと。
「大枝山を超えて生野を通る道」なので順序としては問題ない。

いやはや昔から京都から天橋立へ行くのに遠い生野銀山を経由するとは大変なことだと思っていた。





一方、生野銀山のある兵庫県朝来市の生野に関連する歌はないか、色々な資料を渉猟したところ、幕末の攘夷派志士の平野国臣が詠んだ辞世に生野の地名が詠み込まれていることが分った。

維新前夜の文久三年、攘夷派志士たちは、諸藩に比べて武装力の手薄な幕府の代官所を襲い、挙兵しようとした。しかし大和国の五條代官所を襲撃した天誅組は挙兵に失敗。続いて但馬国の生野代官所を襲った志士たちは、出動してきた諸藩の追討軍に捕縛されてしまう。

主犯格であった平野国臣は京へ護送され、六角獄舎で処刑された。

平野国臣の辞世


生野山まだ木枯らしもさそはぬにあたら紅葉のちりぢりにして 平野国臣






生野に代官所があったのは、生野銀山という幕府直轄の鉱山があったため。幕府にとって、佐渡金山や石見銀山とともに重要な鉱山だった。

明治維新後は三菱に払い下げられ、戦後まで操業が続いたが、昭和48年に閉山した。平安時代初期の開坑以来およそ1200年間にわたった歴史の幕を閉じたもの。

現在は鉱山の跡地に「史跡 生野銀山」として整備されている。







【史跡 生野銀山】


入り口




坑道入り口




鉱山で働く人形が展示されていた




こんな感じ




観光坑道の中




これも




入場料は900円 (2022年6月)


















併設する資料館も圧巻の内容です






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