すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


生玉神社(大阪市中央区)

大坂の生玉神社に行ってきた。
「生国魂神社」が正式名称らしい。
今回が初めての訪問。
昔からこの辺はラブホテル街として有名だった。
この日も昼間から中年カップルが歩いていた。



ラブホテル街を抜けると生玉神社の大鳥居が見えてきた。

奥の本殿は空襲で焼け、台風で倒壊したため、鉄筋コンクリートで頑丈に再建されたとか。



生玉神社といえば井原西鶴。
浮世草紙(小説、好色一代男とか)を書く前は俳諧師(俳句読み)だったらしく、なかでも夜を徹して数多くの俳句を創作する「矢数俳諧」の先駆者として有名で、この生玉神社でも1680年に一晩で四千句を読み上げたとのこと。



「好色一代男」で主人公の世之介たちが天下の「太夫の品定め」を行ったのは神社前の蓮池のほとりにあった茶屋。
その蓮池は埋め立てられたが、池のそばにあった弁財天は境内に移設され、写真のように池も再現されている。
「太夫の品定め」では新町の夕霧太夫が当代ナンバーワンとされた。
「神代このかた。又類ひなき。御傾城の鏡。是は誰が事」と問うと皆が一斉に「夕霧より外に。日本廣しと申せ共。此君此君」(好色一代男)



織田作之助の銅像があった。
生玉神社とどのように関係あるのかな。



境内には摂社が所狭しと並んでいるが、浄瑠璃神社もその一つ。



おっと!
井原西鶴のライバルであった松尾芭蕉の句碑があった。



生玉の辺より日を暮して
 菊に出て奈良難波は宵月夜  松尾芭蕉

*重陽の節句の例祭日に読んだもの



同時代に井原西鶴と松尾芭蕉と近松門左衛門が生きていたって、すごいことだと思う。






さて、井原西鶴が生玉神社で四千句の矢数俳句を達成する前、同じ生玉の本覚寺で千六百句の独吟を成功させている。
この生玉本覚寺は、「西鶴文学地図」(大谷晃一、1993年発行)によれば、戦後に住職の借金から土地を取り上げられ、ラブホテルに変わっていたとのこと。
ところが、先般訪問したところ、マンションに変わっていた。
時の流れは恐ろしい。

本に掲載されていた写真。信号を越えたところにあるホテル・クインメリー。



現況写真。手前左の屋根は変わらない。





 

  


近所の高津宮とセットで行ったらいいと思います。






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