すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
![]() え〜、恥ずかしながら初めて本格的な蕎麦を食べた。しかも信州旅行4泊5日の最終日の夕方に。 たしかに美味しかった! 大阪育ちの私は麺と言えばうどん。 大阪のうどんというか、関西風だしうどんというか、よく分からないが、大阪のどこの街角にでもある食堂のうどんが最高だと思っている。 昆布だしと薄口醤油、コシのないつるつるの麺で、だしは最後まで飲んでしまう。 一度東京でうどん定食を頼んだら、お吸い物が付いてきたのでびっくりした。その時のうどんのだしの色は真っ黒で、とても飲めたものではなかったので、お吸い物が必要なのだろうとか思った。 逆に蕎麦に関しては、大阪で食べる蕎麦はうどんと同じだしに入れて出されるのだが、どうしても大阪のだしと蕎麦の味が合わず、今まで美味しいと思ったことがなかった。 東京で何度か黒いだしの蕎麦を食べたが、フツーだった。 本当にお蕎麦を食べてみたいという願望はだんだんと強くなってきた。 そして今回びっくりしたのは、信州蕎麦というのは、だしに入っていないこと。大阪で言うざる蕎麦で、これが信州蕎麦の食べ方のようだった。 大阪でざる蕎麦を食べて美味しいと思ったことがなかったのに、信州蕎麦の味はエクセレントだった。なんでやろ。 ちなみに、うどんでも讃岐うどんは苦手。 讃岐うどんは麺を味わうらしく、麺は重量感があり、食べていると圧迫される気分になる。 うどんはゆる〜い「大阪のおうどん」がサイコーである。 蕎麦に戻るが、長野県の伊那地方は信州蕎麦の発祥の地らしい。修験道の行者が食べていたとか。現在でもソバ栽培が盛んに行われている。 蕎麦の話はこれぐらいで置こう。 伊那は、東を赤石山脈、西を木曽山脈に囲まれた、天竜川沿いの盆地で、伊那盆地、伊奈平、伊那 古代は東山道が通っていたり、中世では武士たちの戦いが行われたりして、ある程度知られた地域であった。 ところで、伊那は歌枕なのであろうか? というか、私は昨日まで伊那はそれなりの歌枕の地だと思っていた。 今日、このページ作成のために資料をいろいろ整理したところ、伊那を詠んだ歌はとても少ないことが判明。 南北朝時代の南朝方の宗良親王が伊那谷を約30年間も拠点にしていたのだが、この親王が二条派の歌人であったことから、伊那で歌を詠みまくり、それが残っている程度。 伊那は「 信濃国の伊那を詠んだ歌 |
われを世にありやととはば信濃なるいなとこたへよ嶺の松風 | 宗良親王 |
へだてゆく伊那野の原の夕霧に 宿ありとても誰かとふべき | 宗良親王 |
しなが鳥いなの伏原ふしわびて 今宵も鹿や鳴きあかすらむ | 宗良親王 |
霜さやぐ伊那のささ原なかなかに かれぬも寒き風の音かな | 宗良親王 |
え〜と、やはり宗良親王は南朝歌壇の代表的な人だけあって、きちんと摂津国の猪名の歌を本歌として、それの信濃バージョンとして詠んでいる。 志長鳥は猪名の枕詞。水鳥の「かいつぶり」のこと。 宿は万葉集以来の猪名の常套句。 ふし原、ささ原、夕霧、鹿、これらも猪名を詠んだ歌に頻出。 さみしいところが共通点だったのだろう。 |
信濃なるいなにはあらず甲斐がねに つもれる雪のとけんほどまで | 源重之 |
すいません、この歌の意味がわかりません 伊那の風景、天竜川 ![]() ![]() |