すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


印南野(いなみの)(兵庫県稲美(いなみ)町)




「印南野」は典型的な台地地形であって、近代まで開発されないままの土地であった。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説によると
兵庫県中南部、旧加古郡一帯の台地。東は明石川、西は加古川、北は美嚢(みの)川で境し、南は播磨灘(はりまなだ)を望む、東西20キロメートル、南北10キロメートルの地域である。畿内の西の玄関口であり、『播磨国風土記(ふどき)』には印南野、『万葉集』には印南野、稲見野、稲日野(いなびの)として詠まれている。平安時代には禁野であった。水利条件が悪く、江戸時代はワタ作を主としたが、明治前期に衰退した。1915年(大正4)の淡河(おうご)川・山田川疎水の完成で水田化が進展した。大小無数の溜池(ためいけ)景観はみごとである。
・・・とある。


こんな、水利条件が悪く開発もされていなかった「印南野」が、どうして万葉故地になったのか、不思議である。
本当に不思議だ。



この謎を解くべく、兵庫県西部へ旅行に行った際に現地を訪問した。








台地の上とのことであるが、現在では見渡す限り水田が広がっていた。周りに山も見えない。
往古は遥かにどこまでも続く原野だったのだろう。



【稲美中央公園】
今回の目的地は、稲美中央公園にある「万葉の森」。

裏の駐車場に車を停めて公園をうろついたが、案内図が見つからなかったため、かなりの距離をさまよって歩いた。
雨が降ってきて大変だった。



「万葉森林浴」のグラウンドゴルフってなんとも魅力的である。



ようやく「万葉の森」に到着。



小雨と蚊の大群で大変であった。



ふと下を見ると、万葉の植物があった。
これは「ジュウニヒトエ」という植物らしい。イメージが合わないが。



池とか東屋があったりして、京都の古寺に来ているようであった。
ただし、“水利条件の悪い、未開発の、台地地形”の「印南野」のイメージからは少し違和感があった。



全国の「万葉の森」と同じく、無数の万葉植物が植えられていた。
ほとんど興味ないのでスルー。



園内には万葉歌碑が点在していて、目についたものだけ撮影した。



みづのへに森うつれるはうすみどり稲美のまほら静けくぞ燃ゆ 万葉集







家にして 我れは恋ひなむ 印南野の 浅茅が上に照りし月夜を 万葉集







明日よりは いなむの川の 出でていなば 留まれる我れは 恋ひつつやあらむ 万葉集







印南野の 赤ら柏は 時はあれど 君を我が思ふ 時はさねなし 万葉集






その他、歌碑情報はあるものの、当日の雨と蚊の攻撃により、探索を断念した歌は次の二首。


名ぐはしき 稲見の海の沖つ浪 千重に隠りぬ大和島根は 柿本人麻呂(万葉集)


後れゐて 吾はや恋ひむ稲見野の 朝萩見つつ去なむ 子故に 阿倍大夫(万葉集)




う〜ん、
「印南野」を詠んだ作者のうち、実際に「印南野」を分け入って、現地で感じた情感を歌で表現した人はいるのだろうか?という思いがする。
多分、播磨灘を行く舟から遠く陸地を眺め、「イナミノ」の語呂が良いので、なんとなく詠んだのだろう。










訪問自体、それはそれで大満足してます。





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