すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


稲瀬川(神奈川県鎌倉市)












国道134号線、由比ヶ浜に稲瀬川の石碑が建っている。


内容を転記する。
稲瀬川

万葉に鎌倉の美奈能瀬河とあるは此の河なり
 
治承四年十月政子鎌倉に入らんとして来り日並の都合より数日の間此の河辺の民家に逗留せる事あり 

頼朝が 元暦九年範頼の出陣を見送りたるも正治元年義朝の遺骨を出迎へたるも共に此の川辺な り 

元弘三年義貞が当手の大将大舘宗氏の此の川辺に於て討死せるも人の知る所 

細き流にも之に結ばる物語少なからざるなり

大正十二年三月建  鎌倉町青年団建



万葉集で詠まれた美奈能瀬河(みなのせがわ)のことで、のちに稲瀬川(いなせがわ)と転訛。水が少ない意味の「水無瀬(みなせ)」だったのだろう。


【 万 葉 歌 】


ま愛しみさ寝に吾は行く鎌倉美奈の瀬河に潮満つらむか 万葉集


川向いの恋人に逢いに行くのに、満潮で河口付近は渡れなくなり、上流までまわり道しないといけなくなったと嘆いている歌。


現在の河口付近の様子では、満潮になっても大雨になっても渡れそうな小さい川であるが、万葉集の時代は川の流れが今と違っていたのだろう。


現在の河口付近 (大雨の中)



もともとは「水が無い瀬」の水無瀬の川の意味なので、この写真の川ぐらいが妥当だと思う。




次の歌も満潮と雨を題材にしている。


東路やみなのせ川みつ潮ひるまもしらぬ五月雨の頃 藤原実定(夫木和歌抄)


水が無い川の意味があるのに、五月雨の時期、満潮で、川は乾く間もない、ということ。軽い揚げ足取りのような歌である。




次も満潮を詠んだ歌。


さしのぼるみなのせ川の夕潮にみなとの月の影そちかつく 冷泉為相


「夕潮」は夕方に満ちてくる潮。満潮になり、月が水面に映る様子を詠んだもの。














改称せず、
「みなのせ川」のままで良かったと思います。






copyright(C)2012 すさまじきもの〜「歌枕」ゆかりの地☆探訪〜 all rights reserved.