すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


医王寺(福島県福島市)




こんなエピソード系のゆかりの地が大好きである。

えーと、どんなエピソードなのかというと、どんなんやったかな?

ちょうど「福島市観光コンベンション協会」のホームページに要約した説明文があったので、転載させていただく。
 奥州藤原氏の一門であり飯坂をおさめていた佐藤氏の菩提寺。源平合戦において、佐藤基治(大鳥城主)は、藤原秀衡の命を受け、息子の二人、継信、忠信兄弟を源義経に付き従わせました。継信、忠信兄弟は義経の身代わりとなり壮絶な最後を遂げたと言われています。戦いで二人の息子を失い悲しみにくれる老母のために嫁達が武将の姿をして慰めたという孝行話が残っています。また、元禄二年五月「奥の細道」の途中醫王寺を訪れた松尾芭蕉は、佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も五月に飾れ紙のぼり」と詠んでいます。その笈は今もこの寺の宝物殿に安置されています。
(一般社団法人 福島市観光コンベンション協会公式ページ)





主君を守るために一身をなげうった兄弟の忠義譚、遺された母親を元気づけるために武将の衣装を着た二人の嫁達の孝行譚、そして、それらエピソードを聞いて袂を濡らした芭蕉の発句があり、非常にまとまり感のあるCLASSIC POINTであった。








【訪問リポート】






医王寺の入口




山門




山門を入ったところ。右手にあるのが内門。




内門を入ると本堂があって、由緒あり気な雰囲気であった。




進んでいくと、すごいものがあった。
佐藤兄弟(右と左)と源義経の三武将の主従像があった。
じつに圧巻であった。




「あゝ義経〜佐藤一族」の巨大な詩碑があった。




薬師堂




佐藤兄弟の母親「乙和」の母情が乗り移ったのか、つぼみのままで開かずに落ちてしまう椿。
この椿をいつしか「乙和の椿」と呼ぶようになった。










ゆかりの句を紹介



(おい)も太刀も 五月にかざれ 帋幟(かみのぼり) 芭蕉(奥の細道)


医王寺境内に句碑


句解は「五月の薫風の中に紙幟が勇ましくひるがえっている。この寺の寺宝とする弁慶の笈も、義経の太刀も、端午の飾り物として晴々しく飾り、そのかみの武勇の歴史を今の世に伝えるがよい」(新訂おくのほそ道/角川文庫)とあるが、実はよくわからない。







乙和の椿関連

咲かで落つ 椿よ西の 空かなし 黙翁


乙和の椿の前に句碑










謡曲「摂待」の謡蹟でもあった。












満足感の高い訪問でした。





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