すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


入佐(いるさ)(兵庫県豊岡市)




入佐山(いるさ)」は「()る」に通じ、たびたび和歌の中に詠まれてきた。

しかし実際のところ、都の人々は入佐山がどこにあるのかよく分からなかったようだ。

一応、但馬国にあるとされ、豊岡市出石の此隅山のことになっていたようだ(歌枕歌ことば辞典)。

現在の出石町の宗鏡寺(通称:沢庵寺)のある山のことである。









実は毎年のように出石に行っている。
会社メンバーのカニ旅行、冬の山陰カニ旅行の帰りの昼食に「出石そば」を食べるのが恒例となっている。


「出石そば」はこんな感じ




小皿に盛った蕎麦を何枚も食べる独特のスタイル。
一人15枚〜20枚ぐらい食べるのだが、本当に満腹になる。


出石そば「よしむら」

昼に行くとこんな感じで行列ができるほど盛況



「よしむら」に隣接して、幕末に桂小五郎が出石で潜んでいた商家跡がある。「桂小五郎潜居跡」の石碑。





そんで、入佐山であるが、上記のように出石では集団行動なので勝手な行動がとれず、遠くから入佐山をチラ見するしかできない。




これが入佐山


写真のちょうど真ん中あたり。
山の頂上がチラッと見えている。



これも写真の真ん中に見える山。
何がなんだか分からない写真になっている。









【入佐山を詠んだ歌】

なんとなんと、源氏物語でも入佐山は詠まれている。

梓弓いるさの山に惑ふかなほの見し月の影や見ゆると 光源氏(源氏物語)
いる方ならませば弓張の月なき空に迷はましやは 朧月夜(源氏物語


えーと、この場面は「花宴」の段で、光源氏が宮中の宴会が終わった後で朧月夜とハプニング的に契りを結んだあと、それぞれの扇を交換して別れたのだが、光源氏は契った相手が特定できず、その後に右大臣家で催された宴会に招かれたときにその姫君を探し当てるところ。
「入る(いる)」を「居る(いる)」に掛け、「射る」の縁語の「梓弓」や「弓張」を散らばめて、とても情緒深い応答歌になっている。


多分、紫式部も入佐山がどこにあるのか全然考えないまま、言葉のテンポの良さで入佐山を採り上げたのだろう。



源氏物語にもう一つ

里分かぬ影をば見れど行く月の入佐の山をたれかたづぬる 源氏物語

これは末摘花の段。
光源氏が末摘花を訪ねたところを頭中将に現場を押さえられ、逆に頭中将に嫌味な歌を返したもの。
月が「入る際」と掛けている。





その他の歌


梓弓入佐山は秋霧のあたるごとにや色まさるらむ 後撰和歌集
夕月夜入佐の山の木隠れにほのかにも鳴くほととぎすかな 千載和歌集












たとえ個人旅行であっても、
どっちみち山には登らないので、こんな写真でいいと思います。





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