すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


磯崎(滋賀県米原市)






地図(航空写真)のマークしたところが磯崎。


湖岸道路の横にあって、この辺りでは珍しく、山が湖畔に迫っているところである。


この山は磯山と言い、磯崎神社が鎮座する。


ただし現在の地形は昔とは全く異なるようだ。


上の航空写真の磯山の南北にある田んぼは、中世から近代にかけて干拓されてできた土地であり、古代は湖や入り江が広がっていた。


磯山は琵琶湖に突き出た半島であり、半島の先端に「磯崎」があって、そこには舟を漕いで行かなければならなかった。


今となっては想像できないが、そんな往古の磯崎の姿を詠んだ歌が万葉集に残っている。



磯の崎 漕ぎ廻み行けば 近江の海 八十の港に 鶴さはに鳴く 万葉集
(私訳)磯崎を漕いで回っていくと、琵琶湖のたくさんの港で鶴が鳴いているよ。 


湖岸道路沿いの磯崎に歌碑


こんな風に磯崎の半島を舟で漕ぎ回った様子が詠われている。






【現在の磯崎】


先端部が削られ湖岸道路が通っている。




烏帽子岩。
日本武尊の伝説が残っている。
日本武尊は、伊吹山の荒ぶる神と戦って敗れ瀕死の状態になり、醒ヶ井の泉で蘇生して、琵琶湖畔まで逃れてきたが磯崎で亡くなったと、地元では伝わっている。
墓石として烏帽子岩を置いたとのこと。




万葉歌碑とともに史跡として整備されている。




磯崎神社の入り口。
磯崎神社は磯山の山腹に社殿があるらしいが、いつものごとく登らなかった。
ここまでで大満足。






紫式部も磯崎の歌を残しているようだ。

がくれ おなじ心に たづぞ鳴く なが思じ出づる 人やたれぞも 紫式部




かつてこの地は「磯」と呼ばれていたので、この歌も磯崎を詠んだものとされている。
ただし、これについていろいろ異論があり、何とも言えない。
紫式部が父の赴任先の越前へ同行した際に琵琶湖を渡ったときのものであるが、航路は琵琶湖の西岸沿いを進んでおり、磯崎へはやってきていないという説。
とは言え、和歌は実際に現地へ訪問していなくても詠めるものであり、この場合は「鶴が鳴く」がキーワードで、そこから万葉集の磯崎を導いたのだろう。





【追記】

2024年大河ドラマ「光る君へ」
紫式部が琵琶湖を舟で渡るシーン

越前国へ赴任する父、藤原為時についていく


吉谷百合子(紫式部)と岸谷五朗(藤原為時)の親子









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訪問したのは1月初旬の本当に寒い日でした。
雨も降ってきて大変でした。






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