すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
磐余池(いわれいけ)(奈良県橿原市)
日本書紀に登場する「磐余池」は、5世紀前半に履中天皇が築造したとされる。池のほとりでは履中天皇の「磐余稚桜宮」など、歴代天皇が宮を置いたとされ、大和政権にとって重要な場所であった。 そんな磐余池が万葉集に登場するのは、大津皇子が刑死する際の辞世の歌である。 |
ももつたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ | 大津皇子(万葉集) | |
磐余の池に鳴く鴨をみることも今日限りで、 私は雲の彼方に去ってしまうのだろうか (橿原市教育委員会) |
大津皇子は天武天皇の子で、王位継承者の一人であったが、天武天皇が崩御すると、親友の川島皇子の密告により大逆罪の罪を得て、刑死した。 そんな磐余池に行ってきた。 ![]() 12世紀に埋められて、田んぼにされたとのこと。 ![]() たしかに、ここには池があったような気がする平坦な場所であった。 最近の発掘調査で、磐余池のものとされる堤跡が発見されたという。 訪問した時は、すでに埋め戻されたのか、何もなかったような風景になっていた。 |